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"人がコミュニティを選ぶ"のではなく、その逆であること

"自分のレベルを高めたければ、レベルの高い人と付き合え。"という考え方をたまに目にする。

これは、乱暴な言い方だけれども、おおかた間違ってはおらず、レベルの高い環境に属して、その水準にキャッチアップすることが出来れば能力は飛躍的に向上する。

むしろ、飛躍的な成長を遂げるためには、このように、レベルの高い環境に属すこと以外ないのではないかとすら思える。

そういった環境が自分にもたらしてくれるものは何なのか。

それは、"当たり前"の水準を高くしてくれることだと思う。

具体例として挙げれば、あなたがある会社に勤めていて会議に出席することをイメージしてほしい。

ある会社では、会議に出席するだけで良しするが、別の会社では、議事録を残すまでを要求する。

また別の会社では、議事録も、厳密なフォーマットが決まっていて、必ず具体的なネクストアクションを記載するまで要求し、フィードバックも厳しい。

また、会議で発言することがなければ、次の会議には呼ばれないし、生半可な発言をすれば、評価が著しく下がる。

あるいは、そもそも、会議などは存在せず、会議が存在しなくても、自分で考えて同僚と連携をして、結果を出すことが当たり前な環境だってある。

この例だけで考えても、"当たり前"の水準は環境によって違うし、この水準のみで、その環境の質が決まるといっても過言ではない。

おそらく、ビジネスにおけるアウトプットの質は、その人がそれまでに属した環境の"当たり前"の基準によって決まるのかもしれない。

一方で、"自分のレベルを高めたければ、レベルの高い人と付き合え。"という冒頭の考え方に戻ってみる。

これはつまり、"当たり前"の環境を変えなければ、いつまでたっても今のままだし、その基準が同じ人といることになれてはいけないということになる。

ただし、そもそも、それが出来ないから今、"自分"はその環境にいるのだという前提を忘れてはいけない。

もし、このアドバイスに影響された人が、なるほど、とマインドを切り替えただけでは、レベルの高い環境にどれだけ意欲を持ったとしても、その人自身の能力は変わらないのだ。

そして、何よりも、レベルの高い人達からすれば、その人は、"レベルは低い"ので、付き合う価値はない。

だからこそ、"レベルの高い環境に受け入れられる"ように、自分自身を調整する必要があるのだ。

その環境で受け入れられるような強みを持った能力を提供したり、その環境で望ましいとされる能力を身に着けたり、作法を習得したりする必要がある。

何が言いたいかというと、冒頭の考えには、"人がコミュニティを選ぶ"という思想がどうしても根本にあるように思えるということだ。

常に、選択する権利はコミュニティ側であって、人がコミュニティに属する権利を持っているわけではないと私は考えている。

したがって、レベルの高い環境に属すために能力向上に努めるアプローチは必須だけれども、上述のように、"人がコミュニティを選ぶ"という意識を持ってしまうと、その瞬間に傲慢なマインドになってしまう。

コミュニティが人を選ぶ、という謙虚な気持ちを持っておいた方が望ましいと私は考えている。それが、そのコミュニティに属すまでも、そして、属してからも必要になってくる姿勢だと思う。

最後に、これが最も大切なのだが、どんなにレベルの高い環境を目指したとしても、今の環境にいる人たちと関係を切ってしまうようなことはせず、引き続きその関係を大事にするべきであるということを忘れてはいけない。

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