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生き急いでいないか。タイムスパンについて。

私は、人生で何回か職場の上司などに"生き急いでいない?"と聞かれたこと(諭された事)がある。
それは、例えば、ビジネスやキャリアの上で、早く結果を出したいという焦りの気持ちが上司の目から見て取れたのだろう。

ただ、私が生来的にこんな考え方を備えていたかと言われるとそうではないと思う。
思春期の頃を振り返って考えてみると、特に打ち込める何かがあるわけではなく、かと言って、毎日がそれなりに楽しいというわけでもなく、無性に空虚な気分になっていたことを記憶している。学校の生活などもあまり楽しめていなかった。

そして、その時期に、何か自分の隙間を埋めたいと考え、映画や本やネットなどを貪るように探して見たり、読んだりしていた。
この時、色々な情報に触れたことが、今の自分の思考に影響していることは間違い無いけれども、当時は、何か目的や、強く興味を持てるものは結局見つけられなかった。

ただ、そのおかげもあってか、このままじゃ駄目だという焦りの気持ちは少しずつ明確になっていて、何も無い自分が将来惨めにならないようにするためには、少なくとも今は勉強しようと思った時期があって、紆余曲折あったけれども、数年後には、良い大学に入ることが出来た。
大学入学が決まった時に、ある程度自分の中で区切りがついて、自分でも思った以上に肩の荷が降りたのを覚えている。受験戦争が終わったというよりも、やっと形のあるものを獲得出来たと思っていた。

何はともあれ、大学は決まったものの、入学先の学部が経営学系だったので、入学前にビジネスに関する本をいくらか読んでいた。それらの本の内容から知的好奇心や自尊心を刺激され、ビジネスは自分の空虚さを埋めてくれるに最適なものなのかもしれないとぼんやりと考えだした。

とは言え、能力も凡庸で、アイデアも情熱も引き続き無いので、起業は行えず、代替アプローチとして、ビジネスを知るために、いくつかの企業で、それぞれ半年ほどインターンをさせてもらった。それは、会社側がリクルートにつなげるようなものではなく、バイトに近く、タスクを頂いて、それをこなす感じだった。

その時インターンさせていただいた企業はいずれも、ベンチャーマインドを持った人たちと熱狂的に働くという感じではなく、職場はそれぞれ落ち着いた雰囲気の人達ばかりで、淡々と仕事をこなしていく感じだった。(まぁ、ほとんどの職場はそうだろう。)
そこで、ビジネスは思ったより"地味で過酷"なものなのだということに気づき、それは、当時の私にとって、非常に大きな気づきだったし、あの時に気づいて良かったと今でも思う。

一方で、それに気づいたことは良かったのだけれど、いわゆる、何か打ち込めるものがまだ見つかっていないという焦りの気持ちは引き続き続いていて、起業をしてみるか、イケている企業に就職しようか、MBAに進学しようか、プログラマになろうかとか色々将来のことを考え出した。

それで、たびたびインターン先の上司や他のコミュニティの目上の人などに、相談を持ちかけることがあったのだが、その際に、冒頭のように、"生き急いでいない?"と言われることがあった。
当時そう言われた私は、早く結果を出すために生き急ぐに越したことはないだろう、と当然のように考えていた。さらに、"生き急いでいない?"と私に投げかける彼らは、イケている企業出身あったり、いわゆる成功している人も多かったので、"少なくとも、彼らに追いつくためには、行き急ぐしか無いだろう"と思っていた。

そのあとは、紆余曲折あって、いわゆる就活などはせず、ある知り合いの会社に誘われて入ったわけだけれども、入社して、しばらくたったある時期に、"あ、自分はもう無理だ"と思ったことがあった。
それは、何かネガティブな事件があったわけではなく、仕事をしている最中に急に降りかかった考えだった。それは、何かに対して努力することを諦めて自暴自棄になったわけではなくて、このままじゃいつまでも経っても自分は空虚な気分のままだと思ってしまったことだ。

そして、自分が打ち込めるもの、とか、やっていて楽しいこと、とか、成功するまで諦めない、とか、今後のキャリアは、とかそういう何かを達成するための概念にしがみつく気持ちがそこでなくなってしまった。
これは、今後、安定的な生活を送りたいという話に帰着したいわけではなく、ある程度、タイムスパンは長くとって、成功や情熱などの尺度だけではなく、もっと雑念も含めて、自分と向き合っていく必要があると考えた。
自分とじっくり向き合うと同時に、圧倒的努力して、成功するというのは私には向いていないし、出来ないだろうと思う。一旦は、ゆっくり色々な方向に考えを張り巡らせて行けたらいいなと思う。

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