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井の中の蛙の自己肯定感

私は、学生の頃はちょっとした進学校に行ったのだけれど、その当時を振り返って思うに、当時の一番のメリットは、自分より頭の良い人はいくらでもいるということに早くに気付けたことだ。

小学校では、友人達よりは比較的勉強は出来ていたので、環境が違ったら、世の中には賢い人が沢山いるんだということに気付けたというニュアンスに近い。

ただ進学校とは言えども、トップクラスの学校ではなかったし、その学校の中でも平均レベルのクラスに所属していたから、ある程度頑張って努力すれば、なんとか結果を出すことは出来た。

自分でどうとでもなるようなバランスの良い環境だったことが自分にとってちょうど良かったのかもしれない。
そして、当時早くに自分より頭の良い人が沢山いることに気付けたからこそ、今でも日々何かを勉強する気になれるし、もっと成長をしたいと感じられる。

一方でこんなことも考えられる。大学の時の知人で、とても頭が良い子がいた。その知人は昔私よりもっとレベルが高い学校で、自分より頭が良い奴なんて沢山いるということに気付いたらしく、なりたかった学者になるのは諦めたと言っていた。
それでも、その知人が優秀なことには変わりないし、事実、大学で私が単位を取るのに必死なテストであっても、その知人は何の苦もなく優れた評価を獲得したし、その後社会に出ても順調に仕事をこなしているようだ。

でももし、その知人が井の中の蛙のままだったらどうだったか?たしかに、自分より優秀な人がいるという時期が少し遅くなるだけかもしれないが、着実な成長によって気づいた時にはトップクラスの人達と遜色のないレベルまで持っていけるかもしれない。
当然、井の中にいたとしても、自分より優秀な人はどこかにいるだろうというのは、分かるだろう。ただ、成長する過程において自分のコミュニティの近い範囲に、とんでもなく優秀な人がいてそれを痛感する環境とそれ以外では全く意味合いが違う。

とは言え、何かにおいて成功した人は常に昔からあるコミュニティでトップだったとは限らないし、心は折れてもやり切ったから成功した、という人は多いと思う。
ただ、たまたま環境的に心を折られるほどの優秀な人がおらず、自分の得意な事に自信を持って、継続的に勉強したからこそ結果を出したという可能性も大いにありえる。

つまり私が言いたいのは、どれだけ優秀でも、”井の中”(もっとも、他の人にとっては、大海かもしれないが)で結果を出せなかった場合、その人の自己肯定感が高まらないという危険性があり得ることだ。

なんらかの能力を向上させるためには、周りのことは気にせず、自分のペースで進めようとはいうが、周りに飛び抜けて優秀な人ばかりだとそれを実行するのは難しい。

まさに、”鶏口と為るも、牛後と為る無かれ”というわけである。

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