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自由な自分と社会

さて、今すぐなんでもやっていいし、自由にしていいよと言われたらどうしようかとよく考える。

今のところ、答えが一応あって、一年中天候や気温が安定している場所に引っ越して、デジタル機器は出来るだけ遮断して、楽器(音楽)や読書や美術館散策を楽しみながら、毎日を過ごすというものだ。

ただ、私は生来飽き性であるから、すぐ飽きそうだなという気もしている。もしかしたら、ただの憧れとしておくぐらいが丁度いいかもしれない。

そして、あまりにも孤独すぎるのは、ちょっと嫌だなあと思う。私はそこまで友人などと頻繁に一緒にいる事はないけど、人と話すのは好きだし、積極的に人と関わりを持つタイプではないにしても職場等でも色んな人と雑談をする程度には社会的だと思う。

本来、人間というのは、社会的な関わりを持っていないとダメな動物だというのを聞いたことがある。確かに、他人との関わりを出来るだけ拒絶することは当然可能だし、(私もそういう時期が少しあったし、)その場合は、自分の安定はある程度保たれていたものの、それは脆弱なものだったと思う。

ただ、頻繁にパーティーにいったりとか、ジムキャリーの"イエスマン"みたいな姿勢は継続的にやると心のコストが大きいから、あまり進んでやる人は少ないだろう。

さて、脆弱という言葉を用いたわけは、人の悩みの大半は、人間関係(あるいは社会における自分)に起因している中で、関係を出来る限りシャットダウンすれば、ある程度予定調和の生活を送る事が出来るが、それでも、予想外のケースが起こった時に、一気にペースが乱れてしまうと私は考えている。

自分には集中すべきものがあって、それに没頭すること以外のことは見聞き出来ないという条件であれば、この限りではないけれども、私含めてほとんどの人は、そんなに都合よく熱狂に苛まれているわけではない。

何はともあれ、社会的であれ、というわけではなく、現実的に、社会を遮断するのは非常に難しいし、脆弱なものになるから、少なくとも自分の観念上では、社会に対して寛容であったほうがいいということだ。

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