あなたがある目標に燃えていて、その目標に向かって、必死で努力しているとする。
その時、あなたはあらゆる方法の中から一つの方法を選びコミットをする。
おそらく、後から振り返って、その方法が一番正しかった、ということはほとんどないと考えたほうがいいと思う。
もしそう思うなら、とても幸運だったか、視野が狭過ぎた(=他の選択肢を検討したり、振り返ったり出来る慎重さがなかった)という可能性が高いと私は考えている。
(ちなみに、先に断っておくと、後悔しても何の意味もないから後悔をするべきでないなどのマインドに焦点を当てた話ではない。)
私も当然間違えた選択(=比較的良い選択肢に振り返って気付く)は多く、修正することがある。
やらないと見えてこない選択肢はあるので仕方ないのだが、事前にその道のプロに聞く、正確な情報にあたる、文面化して比較するなどの方法である程度リスクを正しく評価し、回避することが出来るはずなのだ。
当然、投げやりな言い方なのは百も承知だが、どれだけ確からしい答えを考え抜いても、世の中諸行無常で絶対解は存在しないことの方が多い。
それでも、失敗をしないようにいろんな手立てを四苦八苦しながら準備する必要がある。
なぜ、こんな話をしているかというと、おそらく私は失敗自体に全くもって価値を見出していないからだと思う。
これは、間抜けな金融マンのように常に重箱の隅を突いても完璧でないと気が済まないとか、確実とわかっている施策しか打ち出さないという意味ではないが、心の底から失敗から学べることは何もないと思っているし、失敗はどうしても避けたいと考えている。
その意味で、失敗したときには、すぐに修正して成功するための施策は打つが、失敗したからこそ学べたとか失敗して良かったという考えになることはほぼない。単純に思考不足だったと反省する。
何度も言うように、失敗するぐらいなら何もしない方が良いとは思っていなくて、失敗した時にそれは準備不足であったと重く受け止める必要がある。結局、失敗はチャレンジの証拠だとか成功に近づいたと思うのは自分の思考不足を慰めるような行為でしかないと思う。
出来るだけ明確に自分の選択を決めて、厳密に検証しなければ、いつの間にかリスクだらけの窮地に自分を追いやってしまう。
"失敗は成功のもと"という言葉が引用される場合は、個人的に非常に的外れだと思うことも少なくない。自分の頭で事実を正しく評価することを疎かにしてはいけない。
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