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抽象的なものとして理解する

それぞれ人には、その人に合った理解の仕方がある。その人の考え方のクセともいうべきものと言える。
まず、私が何か新しいことを理解するときにどんなクセがあるかという話から始めたい。

私は、まず直感的に理解し、自分なりに抽象化して、全体像を把握してから、他のものに落とし込んでいくという癖があるように思える。

この思考のクセは、ある程度思考のパターンが似ている人でなければ、相手が何をイメージしているかを捉え切るのに時間がかかる。
例えば、他人から説明される時、細かな指示を伝えるタイプと話すと、イメージを捉えられないことが多い。

さて、たまに、本当に頭が良い人は、人に何かを説明するのがうまい、という発言を目にすることがあるが、私はどうしてもその手の話に違和感を覚える。

というのも、説明が上手い人というのは、抽象→具体へのイメージが得意ということに過ぎないと考えているからだ。

大学の講義を受けた時、意味不明で理解しづらいという経験は誰しもあるだろう。そこで、その教授は、頭が悪いとまでは言わないにしても、本当に頭が良いわけではない(他の講義が上手い教授と比べて、)から講義の質が悪いのだ、とか、その教授自身の専門分野の知識だけに特化している人で、その領域ではない人に教えるのが下手なのだ、とかいう言説がなされる場合がある。
しかし、それは前述の理由で間違いであると思う。つまり、抽象的なものを抽象的なものとして理解できる思考の主であったとすると、その教授はそのまま抽象的な言い方で人に説明するからだ。

少なくとも、学問の世界で言えば、理論に対して、具体的なイメージが介在しないことは当然起こりうる。だから、抽象⇆具体を行ったり来たりすることが、理解の助けになるとは限らない。むしろ、理解を妨げる可能性も十分ある。
私の話に戻すと、私があらゆる事象を観察して抽象化することが思考のクセであるとすると、いわゆる帰納的な思考だと言えるかもしれない。
とはいえ、人が2パターンに思考法が分けられるわけでもなく、ましてや、どっちが良いとかいう話ではない。あえていえば、その状況で違うし、どちらもある。

自分の思考の癖を知って、何かを理解する時に、混乱を起こさないような自分の癖に適応しやすい情報の集め方をした方がいいのだろう。

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