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自分に嘘をつく

最近、ちょっとおかしいな、と思ったことがあったので、それについて考えを整理したかったので書く。
今回のブログは結構抽象的な文章、あと若干批判的なものになってしまうがお付き合い頂きたい。

しばらく前に何らかの形で知って、私が一方的に知っている有名な人がいた。
普通に言動や考えが立派な人だったから、ひと目おいていたのだが、最近のその人の言動・行動に致命的な矛盾が含まれていたことがあった。

今回はたまたまそんなことがあったが、これは特定のケースだけの話をしているわけではなく、たまにこういうことがある。
立派だなと思っていた人が、無責任に断定的な口調で何かを言いきっていたり、浅はかな意見を述べていたりするケースがそれにあたる。

私は別に他人にも自分にも清廉潔白などは当然求めていない(私も清廉潔白ではないので)けれども、あまりにも思慮の欠けた発言や行動をしている人を見ると落胆する。

うまく言葉として表せるか微妙だけど、あえて月並みな言葉で表すと、"嘘をつく"ことは私の中で結構失望してしまう行為のうちの一つだ。

多くの人もそれはそうだろうと思うかもしれない。ただ、ここでいう"嘘"とは、多くの人が一般的にイメージする"嘘"とは少し違う。
まず、詐欺や人を騙すとかの明らかな倫理の欠けた行為はそもそも論外で、また身近な例でいうと、自分のやったミスを隠すとかそういうものとも違う。

言い換えるとすれば"言動の整合性がとれていない"ことだ。より正確に言えば、"言葉の整合性がとれていないのにも関わらず、それを自覚していない"という状態が好きではない。
この時、その嘘ついている当人が、むしろ嘘をついていることに開き直っていたり、悪意があったなら、まだましなのだが、どうやらそうではなく、矛盾したままそれを何とも思わず、依然として自分の意見などが正しいと思い続けていることだ。
(先述した通りだが、念押ししておくと、これは特定の誰かの話や何か出来事だけを指し示しているわけではない。)

おそらく(そのような)人が"嘘"をいうケースは色々考えられるのだけれど、一番の原因は、"自分の頭で考えた自分の言葉"を使わないことだと考えている。

あまり抽象的すぎる話をし続けても良くないので、イメージしやすいように極端な例を出すと、
"勉強は人に教わるものではなく、自分でやるものだ!"と言っておきながら、他方では、"自分が英語が話せていないのは、日本の英語の教育システムが悪すぎるからだ"と言ってしまうような矛盾である。

あくまでも例なので、この例だけにあまり引っ張られないでほしいことは強く強調しておきたいのだけれど、上記の2つの発言が矛盾していることはわかると思う。

そして、この整合性のずれの中で私がポイントだと思っているのは、この発言の当人は、"そもそも矛盾をどうとも思っていない"ことと、それを"ただの軽い発言で、いちいち整合性とかを気にしなくていいでしょう"と思っていることだ。
個人的にこの考えが到底理解出来ない。おそらく、"この種の矛盾を引き起こしながら平気でいる状態"が"自分に嘘つく"ことなのではないか思っている。("自分に嘘をつく"という言葉を、昔から色んなところで耳にしていたが、これまであまりイメージがつかなかった。)

そして、あらゆる事実や問題に対して、"自分の頭で考えた自分の言葉"を使わないと、あまり深い思考をせず発言してしまい、その発言にも自分の思考が含まれていないから、矛盾に気づかないのではないか、と推測する。

譲歩しておくと、世の中すべての行動や言動に整合性を持たせることはおそらく非常に難しいし、考えもその時々によって多少は変わる。私が出来ていない部分もあるだろう。
それでも、矛盾があっても、それを平気でい続けられるようになったら、自分のことを完全に信用出来なくなると私は思う。

そして、邪推だが、おそらくそのような矛盾に慣れてしまうと、自分の発言・言動を律する必要はなくなるから、とても心地よく、楽しい状態になるのだと思う。
けれど、そうなってしまったら、人としてもう終わりだと私は思う。少なくとも、私を信用してくれる本当に大事な人は離れていくだろうと思う。

やっぱり、外から見て、綺麗なものや、カッコよく見える組織や人であっても、実態は致命的な矛盾を含んでいたり、矛盾を享受する人であふれかえっていることがあるのだということをここ最近改めて気付いた。
そして、世の中この"自分に嘘をつかない"人というのは極めて少ない。だからこそ、私がそういう人に会った時には、相対的に非常に信頼するだろうし、その関係性を大事にしたいと思う。

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