最近考え事をするたびに感じることだが、思考は出来る限り文面化したほうがいい。
心配事は紙に思考プロセス含め全部書くと良い、というようなことはよく言われるが、実際その通りだと思う。(私は、文面化するハードルがPCの方が低いため、効用は相対的に低いかもしれないがPCで書き起こす。)
私はこのブログにも色々書きなぐっているようなことを、毎日ぼんやりと考えている。
思考を文面化すると、論点を整理できるので、頭の中で堂々巡りにならずにすむ。
例えば、脳に決まった容量のスペースがあり、さらに、"今考えるためだけ"に使われる一時的な思考処理装置があるとする。そのただでさえ限られたスペースを、何かぼんやりとしたことを繰り返し考え続けるために使うのは勿体ない。
さっさと文面化して整理して、アーカイブしてしまうのが望ましい。
慣用句的に正しい使い方ではないが、トカゲのしっぽきりのように、思考の一部を切り離して、今までぼんやりと全体を占めていたスペースを別の思考のために使ってあげるイメージだ。
とはいえ、文面化したほうがいいのは直感的に分かっているのに怠けてしまうことはある。
おそらく、深層心理で、ぼんやりと考え続けることで、新しい視点が生まれるのではないかと思ってしまっているのだろう。
しかし、それは理由付けをしているだけで、先ほどの一時的な記憶装置の話でいえば、その装置で同じ思考の繰り返し処理をするよりも、新しい処理に使うのが良いだろう。そのほうがその装置のパフォーマンスもあがる。(ありがたいことに脳は同じ処理しかしなければ老いていくし、新しい刺激を与えればパフォーマンスは上がる。)
自分の色んな思考をこのブログに書き記してきた体感でも、ブログとして書き上げるまでは、そのトピックを繰り返し考えていたのが、書き記した後はそれについて悶々と考えることはなくなっている。それは、それを機に忘却したわけではなく、ロジックを含め整理されたものをいつでも参照出来るようになった感覚だ。
とはいえ、参照に値するような深い思考でない限りアーカイブする必要はない気がする。おこがましく恐縮ではあるが、事実、私のブログも出来る限り深い思考に至ったものを公開しているつもりではある。
ある時期に、とりあえず、毎朝考えたことを文面化してみようと思ったことがあったが、面倒なうえに、XXXをやらなくちゃいけない、というようなことが連日続いてあまり変わり映えのしないものであり習慣にならなかった経験もあるので、思考自体には妥協しないように注意が必要だ。
Tweet© 2020 ZUUHE