ZUUHE BLOG

泥臭い

一通りこのブログを書き終えて、冒頭に追記している。
このブログは、原体験が少々嫌な思い出であったために、批判的で、悪口っぽいダイアリーになってしまった。ある言い回しに対する違和感について書いているが、基本的には、言葉なんて好きに使えばいい。気を悪くされてしまう人がいるかもしれないので先に注意したい。自分でも今後削除するかもしれない。

私は、"泥臭い"という言葉があまり好きではない。正確に言えば、自分自身でも他人でも構わないのだが、経験や努力を評価するときに使われる"泥臭い"という言葉が好きではない。
きっかけのエピソードがある。その出来事以降、泥臭いという言葉を使わないようになった。

私が学生の時に働いていた先で、私と直接関わりのない上司が(私に対してではなく)こう言っていた。
"今職場にいる学生達は、エクセルを駆使して難しそうなデータ分析をしている。私が学生のときは、バイト先の社長のお茶汲みや雑用などをやっていて、そんな難しいことはせず、ひたすら泥臭いことをやっていた。それでも、その時社長の働きぶりを間近で見られた経験や、議論した経験は非常に良かったと思っている" といったような主旨の発言だった。

この発言を聞いた時、非常にモヤモヤしたのを覚えている。その職場には、私みたいな学生インターンみたいなのが何人かおり、彼のいう"学生達"は私達のことを指したのだろう。
上記の文章は要旨を抽出しただけなので、正確な描写ではないのだが、本文自体はその学生のエクセル分析業務をちょっと小馬鹿にしたような印象を与えるようなものだった。(ちなみに、エクセル業務は、社員のコンサルティング業務の下請けのようなもので、財務シミュレーションの作成や、市場調査のリサーチやクライアント先のデータを加工してプレゼン資料を作るようなものだった。)

そして、その時私が感じたモヤモヤをあえて怒りとして表現するならば、怒りのポイントは二つあった。
まず一つ目は、"そもそも社長の近くで雑用でもいいから働くことは、データ分析業務よりも価値が高いこと"である。学生でインターンしたいと考える学生(この場合、アルバイトのように長期で働くインターン)は、ビジネスで行う業務自体を先取りしてやっておきたいと考えている学生はほとんどいないはずだ。それなら、黙ってあと数年我慢すれば、社会に出られるのだから、学生の楽しい時間を割いてまで業務そのものをやりたい、とは思わない。言うまでもなく、彼らが望んでいるのは、将来の起業や出世などのためにビジネスがどのようなものが理解したいというものだ。その意味で、どんなにレベルの高い業務であっても、それが延々に繰り返される定型業務だった場合、優秀な学生は仕組みの本質を理解出来次第すぐやめるだろう。
だから、その上司がわざわざ自分の経験と今の学生の業務とを比べて小馬鹿にするまでもなく、学生達からすれば、"いや、そういうのを俺たちはやりたいんだよ!"と思っているはずだ。少なくとも、私はそうだったし、そのインターン先だけではなく、他のインターン先も含め、一番の学びは業務自体ではなく、社長に対する雑用ではなくとも、上司との業務上の議論だったり、仕事ぶりを生で見られることであったりした。

そして、2点目は、泥臭いとされている経験が全く泥臭くないことだ。
先の1点目が、その業務自体の話だったため、あまり普遍性はないが、2点目のようなことは良く目にする。
そもそも、"泥臭い"という表現が何かを評価するときの言葉としてあまりにも簡単に用いられすぎていると思う。
誤解をして欲しくないが、ビジネスにおいて、泥臭いやり方は非常に大事だ。スマートなやり方だけでビジネスを成功させることは出来ないし、個々人の業務でも雑用や非効率極まりない作業などは発生する。私もそういう業務を頻繁に行う。
ただ、自分の積み上げた経験を回顧し、"泥臭いことをやってきた"というのは、それ自体を神聖化し、それ以外の泥臭くないことを、苦労していないものとして過小評価しているように見受けられる。
さらに、ここもポイントなのだが、その上司自身は大手総合商社出身のエリートであった。当時の私からすれば、"いや、そういいながら、あなたもただのエリートでしょ。"と思ってしまった。間違いなく私は捻くれているが、"泥臭い"っていうのは少なくとも彼らエリートがやってきた認識しているよりも現実的に泥臭いものであると思う。さらに、泥臭いは"一つ一つの業務"とかではなく、その先にまったく兆しが見えないなどのどうしようもない境遇自体も含まれるはずだ。

彼だけでなく、例えば、ある記事で外資系銀行のエリートが、"休日でも地方まで顧客に対して営業回りをしていました。外資系銀行といえども、泥臭いことの積み上げが大事です!"というような発言をしている人がいたのだが、それはさすがに違うだろうと驚いてしまった。業種から考えて、その顧客一人で飛躍的にレバレッジが効くわけだから、施策の一つとして当然の範疇だとツッコミを入れてしまった。
金融マンでも、コンサルタントでも商社でもいいのだが、たまにエリート達が、こんな私でも泥臭いことやっています、というようなアピールをするのだが、ツッコミどころが多いものだらけだ。酷いものだとみているこっちが恥ずかしいものもある。(彼らはそれを自覚せずに、"外資系金融営業マンが教える顧客の心を掴むテクニック!"みたいな本を書いてしまうのだが...)

泥臭いことの定義を書いてしまうと、それに当てはまるかどうかという別の議論が生まれ、まとまりがなくなる気がするので書かない。これだけ言って、書かないのは無責任だと自分でも思う。申し訳ない。ただ、ほとんどの人間(私も含む)は、本質的に誰も泥臭いと呼べる仕事をやっていないと思う。(特に、ホワイトカラーの人間は)
私は泥臭いという言葉で、自分/他者を神聖化し、アピールするのは正直言って品がないとすら思えるし、間違ってもそれで他のやり方と比べるようなことはしない。

Tweet

© 2020 ZUUHE