ZUUHE BLOG

美意識

美意識は人によって当然違うし、絶対軸はないだろう。

ここでいう美意識は、アートに関連づけられるようなデザインや色彩のセンスなどの美意識に限らない。要は、何が美しい、かっこいいと思えるか、といった簡単なものだ。卑近な例で恐縮だが、最近私も、歴史小説を読んで、こんな生き方美しいなあ、とジーンとなった。そんな感じだ。

私が色々書いている文章も、私の美意識に基づいて生まれたものだと言える。(言うまでもなく。それ自体が美しいかどうかと言えば、そんなことはない。あくまでも個人による。)

個人的な考えになるが、美意識は20歳ぐらいまでにある程度決まるのだと思う。それ以降は基本的に変わらない。自分の中で流行はあれど、それぐらいの年齢までにカッコいいと思えるもの要素が、それ以降も共通していると考える。

私が、これぞ、というものに出会った時、つまり、美意識がフル回転する時の感覚を、別の表現で言い換えるとしたら、"しびれる"という感じだ。なんか暑苦しい言い方だけれども、凄く面白いストーリーを読んだり、熱い言葉を見つけた時に、"おー、これはしびれる..."と内心盛り上がる。

(ちなみに、このしびれる、という表現は、私が学生の頃、あるネット上で読んだ熱い記事を読んで、友人にシェアすると、"これは痺れるね"と返信がきて、しびれるっていう表現良いな、と思ってからずっと使っている。)

そんなしびれる映画や、本や、記事や、人は、私にとってたくさんあって、よく見返したり、参照したりする。少し古臭いが、好きな部分を抜粋して、ファイリングしているものもある。このブログでも、気が向いたら、しびれるものリストみたいなものをページ作って公開してみようと思う。

私が痺れるなと思える人の一人が、幻冬者の見城徹社長だ。言わずとも知れた、出版業界の雄であり、伝説の編集者でプレイヤーとしても超一流である。

彼の出版業界における栄光などは調べてもらうとして、私は彼の人格や考え方が非常に好きだ。非常に真っ直ぐで、愛に溢れた人である。

例えば、彼がいち編集者であった時の、作家に対する愛のこもったアプローチのエピソードには非常に胸を打たれる。ある作家と仕事をする為に、その作家の著作を丸暗記し、目の前で急に読み上げるという驚きの行動に出たかと思えば、別の作家には、雑誌や記事に投稿される全ての作品やエッセイに対して、感想をしたため、すべて5日以内に作家の元に送るというようなアプローチを行った。

そして、これらのアプローチは、いわゆる営業手法としての部分も当然あるだろうが、彼自身の心の底からの湧き出た愛に基づいたアプローチだろう。彼自身の絶対的な美意識に基づいた本物の言葉を使って、アプローチしている。先日、私が泥臭いという言い回しが好きではないことを書いたが、おそらく見城氏も、自分のそれらのアプローチを泥臭いやり方をやったぞ、と思っていないと思う。回りくどくとも、彼にとっては、それが最も正しく、作家に信頼してもらえる手段だからこそやっているというイメージだ。

また、彼は、人に会った時に、"見城さんって面白い人ね。"と絶対に思ってもらわないと気が済まないと言っているのも非常に面白い。おそらく、彼はこれを真顔で言っている。烏滸がましい言い方になるが、こういった彼の姿勢は、見城氏の"可愛らしさ"をとても表していると思う。私もこういう姿勢が好きだし、この姿勢で取り組むようにしている。自分と関わる人には愛を持って接しなければいけない。

そんな大好きな見城氏の愛に溢れるコミュニケーションに加えて、もう一つ、彼の好きな部分がある。それは、彼のナルシシズムだ。

彼は非常に繊細で、幼少期の頃から自分の容姿や境遇にコンプレックスがあったという。幼少期の頃から自分のアイデンティティに悩み、自己否定・自己嫌悪を繰り返しながら自分の弱みを克服してきた。だからこそ、先述のような愛のこもったアプローチをとれるのだと思う。

一方、彼の著作には、そんな葛藤に常に悩みながらも、自分の人生の出来事を回顧する際には、繊細な感情が文章の所々に溢れている。そして、あえて嫌な言い方で言うと、自己陶酔に近い文章が頻繁に見受けられる。ちょっと読んでいて恥ずかしくなるぐらいのナルシシズムだ。

そして、私はそこがたまらなく好きだ。

誤解をしてほしくないが、別に私は好き好んでナルシシズム文章を追い求めているわけではなく、見城氏のコンプレックスと自己嫌悪の葛藤の中から生み出させる絶妙なナルシシズムに対して、"しびれる"のだ。

比較するまでもなく、昭和のおやじの武勇伝や、バブル期礼賛みたいなものとは一線を画している。

翻って、おそらく、彼には敵が多い。先のような彼のナルシシズムに嫌悪を抱く人もいれば、ビジネスでも、例えば、幻冬者上場廃止(MBO)には市場から大バッシングを受けていたし、近年でもNewsPicks騒動なども記憶に新しいだろう。

極め付けは、しばらく前に、Twitter上でのある発言に対し、出版社の社長の立場として望ましくない発言だと批判を受けた。彼はそれを機にTwitterをやめた。その時、色々彼は思うことがあったと思うし、私も彼を肯定するわけではないが、少なくとも彼は自己矛盾を起こしたくなかったから、やめたのだろうと思った。自己嫌悪の末の決断だったはずだ。開き直ることも出来たはずだが、彼の美意識がそれを許さなかったのだろう。批判はあるだろうが、私は彼の最終的な意思決定は正しいと思ったし、美しいと思った。

人にはそれぞれ美意識があって、その美意識に合うものに出会えた時は幸せだ。シビれるものや人に出会って、思いを張り巡らせている時にフロー体験が訪れるような気がする。

以上。自分の思考について書き出すことが多いこのブログだが、好きなものについて書くのは筆が進むし、非常に楽しかった。久々にこんな長さのブログを書いた。

美意識・しびれるというテーマについては、しばらく前から書きたかったのだが、どう展開していいか分からず、ずっと眠らせていた。思い切って、自分が好きな見城氏と結び付けて書いてみると、(自分なりに)うまく書けた。タイトルを見城徹にしようとも考えたが、もともとは美意識がテーマだったので、そのままにした。

このブログは、カフェで思い付いてスマホで書き始めて、前屈みになりながら怒涛の勢いで書いた。肩が凝った。

最後に、もし、見城徹氏について興味が湧いたのなら、"読書という荒野"と"たった一人の熱狂"の一読を強くおすすめする。

Tweet

© 2020 ZUUHE