読書で、多読派か、精読派かと言われたら、私は多読派なのだろうと思う。
(多読と精読は対立するものでもないから、派閥なんてないようなものなのだが。)
一度読んだ本は重要だと思った点を転記したり、感想としてまとめるだけで、本文全体を読み返すことはそんなにない。
そもそも、私は読書を娯楽だと思っているし、目的意識はあまりない。実務/実生活に活かそうという気持ちでは読んでいない。(専門書は除く)
とはいえ、やはり読書は情報収集の有力な一手であることは間違いない。参考になる知識は多い。
ただ、これまでたくさんの本を読んできて、本から得られる知識(特にビジネス書)はある程度プラトーに達している感覚があった。
時間対効果が以前よりも随分と逓減しているのだろうと思う。
だから、最近は小説を読んでいる。
けれど、最近、自分が好きなビジネス書を最近改めて複数読み返してみた。
すると、あれこんなことも書いてあったっけ、というような新しい発見もあり、非常に新鮮な読書体験であった。
ビジネス書だとしても、今後も引き続き面白そうなものがあれば積極的に新しい本を読むことになるだろうが、一度読んで、これぞと感じたものは繰り返し読んだ方がいいなとその時痛感した。
名著に出会って、これぞという真理を得たとする。それを実生活やビジネスなどで活かすことはしばしばあるだろう。
その真理はいわばベストプラクティスのようなもので、いつでも普遍的に役立つかはともかく思考軸としてないよりも明らかにあった方がいいのは言うまでもない。
以前、ベストプラクティスについてもブログで書いたように、ベストプラクティスに従って、思考するのは非常に大事だ。ただでさえ、色々なことを考えなければいけない状況の中、ベストプラクティスは規律(displine)の役目を果たしてくれる。
あるレイヤーをベストプラクティスに任せてしまうことで、より高いレイヤーの考えに集中できるという恩恵を受けることが出来る。
そして、ここからが今回のポイントなのだけれど、そのベストプラクティスに基づいた思考軸みたいなものは、おそらく一度にたくさん想起することが出来ないと最近気づきだした。
例えば、自分がお気に入りのビジネス本があるとする。実際に、ある問題に直面した時に、その本に書いてある文章の要旨はもちろん、特に重要だと思ったこともほとんど思い出せないだろうと思う。思い出し、実際に思考軸として用いるとしても、せいぜい一つや二つが限界だと思う。
悲しいことに、思考するとき必ずしもコンディションが思考向きのフロー状態になっているとは限らないだろうし、私の頭が悪いだけかもしれないが、人間の脳はそこまで便利に出来ていないのだ。
確実な方法として考えられるとすると、シチュエーションごとにチェックリストのようなものを作っておいて、いつでも参照できるような状態にするようなものだろうか。
(ex:ファイナンスはこのベストプラクティス、採用はこのベストプラクティス、などだ。)
哲学などどれだけ普遍の学問であっても、それを血肉化し、無意識レベルで想起するのは非常に困難だろうし、それを目の前のシチュエーションに当てはめる段階で詰まってしまいそうだ。
それでも、その一つ、二つのベストプラクティスを持てるだけでも非常に心強い武器になることは間違いないし、そのベストプラクティス的思考軸を各領域で持っている人間、組織は強いといえるだろう。
とりあえず、これぞという名著にあったら(別に本でなくともいいが)、思考停止といわれたとしても、それを何度も読み込んで、自分の思考軸として想起出来る状態にしておきたい。
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