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山月記

山月記という小説を知っているだろうか?
作者である中島敦のデビュー作で1942年に公開された作品だ。国語の教科書にも載っているから、読んだことがある人は多いだろう。
30分もかからず読める物語だから、読んだことがない人は是非読んでから、またこのブログに戻ってきてほしい。

山月記を読んだことがある人にもおさらいとして、この物語のあらすじをまとめよう。

エンサン(名前はカタカナにする)という役人が夜道を歩いていると、一匹の虎に出会う。すぐに、その虎は身を翻し、草むらの中に隠れた。と同時に、人間の言葉を呟いた。

エンサンは、その聞き覚えがある言葉に、その虎がリチョウという友人ではないかと気付く。リチョウは虎になった経緯を、エンサンに話す。(このリチョウの話が物語の大部分を占める。)

リチョウは、エンサンを含む多くの人間が頭脳明晰で優秀だと認めた役人だった。いわゆる、同期の星のような人間だった。しかし、リチョウは元来から詩人に憧れており、役人を辞めて詩人になった

しかし、その分野では泣かず飛ばず。それでも、リチョウは他の詩人同士交わって切磋琢磨するようなことを良しとせず、独りで詩作に耽る。

それでも結果が出ない。数年後、貧窮の末、家族を食いつなぐため、役人に戻る。

役人に戻っても、役人時代の同期は当然出世している。彼らは、リチョウが詩作に耽っている間、役人として勤勉に働いていたからだ。リチョウは、そんな彼らに頭を下げ続けなければならない身分になった。

そんな自らの状況に喘ぐ末に、発狂し、ある晩、野に駆け出す。するといつの間にか虎の姿になってしまった。
以上、おおまかにはこのような話だ。

リチョウが、自身の人生を振り返り、自身の葛藤を吐露する物語である。(この後、リチョウが虎になった後に作った詩をエンサンに託しながらも、まだ詩に未練がある自身を自虐するなどの印象的なシーンが続く。)

山月記は、リチョウ自身が発した言葉である臆病な自尊心と、尊大な羞恥心というキーワードとともに語られることが多い。

高校生で読んだ時は、物悲しい人生だなぁという印象を持った気がする。
ただ、しばらく経って印象が変わった。

もし、現代文の授業的に解釈するのであれば、リチョウのどこがダメだったのかを過去の出来事に基づいて解説するのかもしれない。
例えば、役人という自分に向いた才能を活かすべきという意見が出たり、詩人になったとしても、自分の才を過信せず、同じような仲間と交わり、切磋琢磨するべき、というような考えになったりするだろう。あるいは、虎になったあとに、今までの自分を捨て去り、自分なりの生き方を見つけるべきというような解説になるのだろうか。実際どうだったか、正直なところ、当時の授業の解説を覚えていない。

いずれにせよ、本作のテーマである"臆病な自尊心と、尊大な羞恥心"を持たないような生き方を選ぶべきだとする解釈が望ましいとされるかもしれない。

だが、しばらく経って読み返したとき、少々違った考えを持つようになった。たしか大学生の時に読み返したと記憶している。

それは、"リチョウはこういう生き方しかできない。"という考えだ。

どうあるべきか、というものはこの世にいくらでも存在するが、やはりリチョウにはそういう生き方しか出来なかったのだろう。
もちろん、それは、リチョウに限った話ではなく、私含めあらゆる人生にあてはまる。
成功者をみても、逆に身近な嫌な人をみたとしても、この人はこういう生き方しか出来ないから、今こんな感じなんだろうなと思う。
それは、良い悪いの話でもなければ、運命論的な仰々しいものでもない。
少なくとも、開き直りの材料的なものでは決してないことは間違いない。例えば、悪人は悪人のようにしか生きられないのだから矯正しても無駄だ、というような開き直りだ。(ただ、結果論として、一種の諦めに似た感情にはなるかもしれない。)

現時点でも、うまく整理できておらず、○○ではない、という抽象的な定義の仕方しか出来ないのが非常にもどかしいところだ。
また、仮にこの話を他人に言って、"つまり、君が言いたいのはこういうことだよね"とまとめられたとしても、私は"いや、そうではないんだ。"と答えるであろう。(まったくもって、やっかいな性格である。)

だが、ニュアンスとしてもっとも近いものを頭の中から引き当ててみたら、故・松下幸之助氏の著書"道をひらく"から、最も有名な"道"という一節が思い浮かんだ。素晴らしい詩であるから、是非全文読んでほしい。ここでは一部だけ引用する。

"この道が果たして良いのか悪いのか、思索にあまるときもあるだろう。なぐさめを求めたくなる時もあるだろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。"

とても心強い言葉である。ちなみに、この詩を初めて読んだ学生の時は、自分の中で色んな葛藤があったのも相まって、深夜にとても胸を打たれた記憶がある。

"こういう生き方しか出来ない"のだ、という視点を持つと、自分自身だけではなく、他人の価値観もすっと入ってくることは多いと個人的には実感している。

例の通りインサイトどころか、結論めいたものもなく、挙句の果てには松下幸之助氏の力を借りてしまった。(氏はやはり偉大である。)

辛いときは、山月記を読み返してみてほしい。
自尊心の高いどうしようもない絶望的な人生の物語以外の視点でもこの物語を楽しめると思う。

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