ZUUHE BLOG

鍵はどこにいった?

先程起こった話をそのままブログにしてみた。
出かける準備をしていた時に、鍵が見当たらなかった。

前提はまずこんな感じ。
・靴箱に鍵や財布やマスクなど小物一式置いている。
・鍵に関しては、スペアキー含め二つあり、両方靴箱に置く。

そして、靴箱から鍵を取り出そうと思ったとき、"鍵が一つしかない"ということが起こった。

その時の思考プロセスとしてはこうだった。
"靴箱にないなら、リビングにあるだろう。なぜなら、このようなことが、これまで何度もあったからだ。"
しかし、なかった。そして、次はこうだ。
"ない。なぜないのか、既に持ったのか。"
ポケットを確認する。
"ポケットなどにもない。洗面所に置いたか?いや、洗面所に置くはずはないのだけれど..."
洗面所を確認する。
"やはりない。もう一度、靴箱を確認しよう。"

結局は、靴箱の奥の方に、スペアキーが隠れていた。別の小物が、視線を遮っていたようだ。
つまり、"最初から靴箱に鍵は2つあった"のだ。

なんの変哲もない話なのだけれど、出掛けながらこんなことを考えていた。
"なんで、最初に靴箱を精査しなかったのだろう。"
これに対する答えは、さきほどの思考をトレースすればわかる。

再掲すると、
"靴箱にないなら、リビングにあるだろう。なぜなら、このようなことが、これまで何度もあったからだ。"

結局、直感的判断として、経験則に基づいて行動したのだ。
あぁ、やってしまった、と反省した。

考えながら、ダニエルカーネマンの"ファスト&フロー"のシステム1.2の話を思い出した。
(簡単に言えば、人は、咄嗟の判断には経験則に基づいた直感的思考を持ち出し、余裕のある状況では論理的な思考をする傾向)

そして、挙げ句の果てには、これである。
"ポケットなどにもない。洗面所に置いたか?いや、洗面所に置くはずはないのだけれど..."

滅多にシチュエーションとして考えられない"洗面所に置かれている確率"と、"靴箱にあるのを見逃している確率"を比較して、前者を選んでしまった事だ。

よく考えれば、後者の方がおそらく高く、優先すべきは後者のアクションである。
日常の瑣末な出来事であり、別に大した被害のないミスだった。
そもそも、行動コストも、ミスによるコストもほぼ0なので、熟考してる暇あったらさっさと動けって話なのだが...

別に大きく反省する必要はないのだけれど、自分はある程度合理的に考えられていると思い込んでいる部分があったなぁ、と恥ずかしくなる出来事でした。

Tweet

© 2020 ZUUHE