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発信への違和感

例えば、インターネットやメディアなどで、この人の考え方とても好きなんだけど、部分的に皮肉的過ぎたり、断定的過ぎたりするのではないかと思える人がいるとする。
ただ、そのような人は多くの場合、直接コンタクトをとって話すなどをしていみると、謙虚で横柄な感じは一切なく、丁寧にコミュニケーションをする人であることが多い。

では、最初に感じたその違和感はなんだったんだろう。たまたまだろうか。

たまたまその時の気分や、やや違和感のある発言をした日に嫌なことがあったとかは考えられるだろう。
それ以外の原因について、色々最近考えていた。
特に、そのタイプの人と私の違いはどこにあるのだろうと。

おそらく、コミュニケーションの巧拙の問題ではなく、考え方の違いになろう。

色々考えた結果以下のような結論が出た。

【発信者A】とおく。
Aは発信する際に、想定される【読者B】がいる。
Bは、Aの考え方が好きだし、Aの発信が楽しいと思っている。
そして、Bは基本的に、Aの個別の発信そのものだけではなく、Aの一貫した人間性にも多かれ少なかれ共感している。

さらに、もう一人の立場の人がいる。【読み手C】である。
Cは、Aの考え方に対して特別思い入れがない。
Cは、Aの個別の発信をみて、気に食わない部分があると感じたとする。
そんなCは、Aのある部分の矛盾を指摘したり、批評したりすることがある。

しかし、AはBのために発信しているわけで、Cのためではない。

Cには届ける必要がないとしたときに、Aがとるアプローチは2つだ。
①Bに引き続き届けながら、Cを排除するようなニュアンスをいれる
②Cも想定して、婉曲的な言い回しや断り文句を入れる
(一旦、CをブロックするなどCに対してのアクションは除く。また、これは決してアンチにどう対応するか/アンチを気にするかどうかという話ではなく、発信方法の違いはなぜ起こるのかという議論だ。)

いずれにせよ、AはBに向けて発信しているという部分は変わらず、発信方法が変わったとしても微細な変化である。

おそらく、冒頭で挙げたような人たちは、①のアプローチをとると思う。
そして、本ブログを読んでいる方にはわかると思うが、私はどちらかといえば、②である。
②のアプローチが自分の考え方にあっているからそうしているに過ぎないが、そもそも、私のブログには、Cのような読者が発生しうるほどの十分な閲覧数がない。また、②をとったとしても、①よりもCは減ると思うが、決してゼロになるわけではない。

①のアプローチは極めて合理的であると思う。何の問題もない。
ただ、おそらく冒頭で挙げた違和感というのは、以下の"Cを排除するようなニュアンス"のことだろうと思う。

①Bに引き続き届けながら、Cを排除するようなニュアンスをいれる

そのニュアンスも含め発信者の人間性と言えるが、Bにとっては、そのニュアンスは必須ではなく、なくてもいい。むしろ、あったら違和感を覚えてしまう可能性がある。
一方、それは、②のアプローチでも同じで、Bにとっては、本質的な考えだけが分かればよく、婉曲的な言い回しや断り文句は不要である。(私にとっては、その婉曲的な言い回しや断り文句は発信の中身が伝わる精度を上げていると信じているが、Bにとっては別になくともわかっていると思う。)

①でも②でも、発信している時点で何らかのポジションをとっているわけだから、Cが現れるのは必然である。Cをどう捉えるかによって、文体の違いが出てくるというのは面白いなと最近考えていた。

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