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美術鑑賞体験価値

私は美術館に行くのが好きだ。
美しく、静かな環境で作品を眺めるのが好きだ。
とはいえ、絵に特別な知識があるわけではない。歴史にも画法にも詳しくない。事前に予習もしない。

学生のとき、朝起きて、今日は美術館に行こうと思いつき、その日にやっている美術館を調べていくということをよくやっていた。
今は仕事もあるし、コロナで予約が必須のところが多く、そのようなことはやや難しくなっているが、楽しみ方は学生の時の延長線上のままだと思う。

先日、行きたかった美術館に行ってきた。
人気のあるアーティストの美術館だった。

展示はとても美しいものだった。
よくこんなかっこいいデザインになるなーとつくづく感心していた。
クリエイティビティというのは、ゼロから何かを表現するということなのだろう。

昔誰かが、"芸術を見て、こんなもの俺でも描けるという人がいるが、芸術は最初に作ることに価値があって、再構成には価値がない"という趣旨の発言をしていた。
美術館に行くたびにその言葉を思い出す。とても普遍性のある含蓄に富んだ発言だと思う。

写真撮影OKの美術館に行くたびに思うことだけれど、美術館での写真撮影はあまり理解出来ない。
絵を見ているときに、周りでカメラ(多くはスマホ)を構えている人がいると動きにくいし、シャッター音は気が散る。
写真で見るのなら、Google画像検索で十分ではないのだろうか。

絵を見ているときに、絵を見ている人が離れるまで、対象の絵をベストな構図で撮影したい人などが今か今かと待っていることがどこの美術館でも散見されるけれど、あのシチュエーションはとても苦手だ。
絵を見るリズムが崩れてしまう。
美術館側は、それをSNSなどで拡散してもらいバイラルマーケティング的に集客出来ることが狙いなのだろうか。

絵は自分のリズムで自由に見たい。工場のベルトコンベアのように並んで、その速度に合わせて作品を順に見るようなことが混雑した美術館ではよくあるが、あれも苦手だ。

混雑すればするほど、売上は上がるが、カスタマーエクスペリエンスは下がる。美術館に限らず、混雑は苦手だ。
電車の混雑やスーパーでの食材の買い物など、"その場で何かをすることが目的でない場合"はそれほど気にはならない。(つまり電車は移動手段であり、乗車体験にお金を払っているわけではないし、スーパーでの買い物も料理をするための手段である。)
しかし、レストランや美術館や銭湯や映画館など"その場で何かを体験することが目的である"場合の混雑は耐えられない。
レストランであれば、どんなに美味しい素敵な料理でも、混雑し、うるさく、常に待ちの行列が並んでいるようなところは落ち着かない。体験価値が棄損される。
コンテンツは一緒でも、自分のペースで消費したい。同じマクドナルドでも、混雑し、喧しく、色んな匂いの入り交ざった店内ではなく、持ち帰って家でゆっくり食べたい。

結局、ダイナミックプライシング(変動価格制)のように需給バランスを価格をもって統制するしかないのだろう。
それでいいと思う。事実、最近の映画館なども、グレートアップすれば大きめの椅子を確保することが出来る。

その体験の価値を高く感じている人は、少々高くても落ち着いて自分のペースで体験をしたいと思っているから喜んで払うだろう。
同じような思考(その体験の価値を高く感じている人)の人だけに制限された空間の方がありがたいと考える人が多いだろう。
価格を高くした場合、客数が減り、混雑がなくなるだけでなく、美術館体験に集中したい人が増えるため写真撮影率も減るのではないか。

映画館だけではなく、コンサートやスポーツイベントなどエンタメ系は変動価格制を導入しているところが多いと思う。
なぜ、美術館はあまり変動価格制が適用されないのであろうか。(あるかもしれないが、私は覚えている限り見かけたことがない。)
作品自体も貴重なものであるからかもしれないが、オペレーションも全体的に役所的である。

コンテンツが普遍、あるいは競争みたいなものはあまりなく、参入障壁が高い産業はカスタマーエクスペリエンスがあまり向上しないのであろう。
(ex: 人気のあるアーティスト・作品が展示される美術館はおそらく限定されるだろうし、本物は1つしかない or 同時に展示されるのは1つのみ。)

そもそも、芸術は商業的側面と対立する部分もあるから難しい。
とはいえ、"コンテンツ"の保存/保護、そして向上は多くで語られているのだから、芸術鑑賞体験の向上についてもブレイクスルーがあるといいなあ。

蛇足だが、芸術作品の商業的価値を"コンテンツ"(what)に置きすぎており、"デリバリー"(how)が軽視されているような気がする。
だからこそ、人気アーティスト、人気作品を展示し、いかにバイネームで集客させるか勝負になっている気がする。まぁ、こんな思いつきの意見は散々議論された上の現状だろう。

蛇足ついでに、同じアートでもいわゆる美術館としてイメージされるものとは毛色が違うが、ずっと前に観に行ったチームラボはとても大きな空間を借り切って、音も合わせて内装全体で表現するという体験だったから、人気で人は多かったけど、圧迫感やうっとうしさを感じない展示だったことを思い出した。
あと、東京都では、東京都現代美術館が一番好きで、とても居心地がいい。それは取り扱う展示があまりポップではないというのもあるが、清澄白河という絶妙に"外れた"立地が寄与しているのだろう。

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