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コカ・コーラは幸せの味

物心ついた時からひどい花粉症に悩まされている。
この時期は毎年、目と鼻がやられ、常に眼は充血し、鼻が詰まっている。

頭がボーっとする。リラックスしている休日は特に一日中睡魔に襲われている。
ある日、夕食後すぐに頭が回らなくなってきたので、さっさと入浴し、歯を磨き、21時ぐらいには就寝。

数時間寝て、夜中に起きる。しばらくまどろんでから、起き出して、夕食の残りを食べる。食後に冷蔵庫からコカ・コーラを取り出し、コップに注ぐ。

冷たいコカ・コーラが、身体に爽快感をもたしてくれる。なんて幸せな味なんだろうと思った。

美味しい飲み物は世の中にたくさんあるが、コカ・コーラは特別な飲み物だ。世界一有名な炭酸飲料にして、最高の飲み物である。
ただ、コカ・コーラはカロリーや糖分などの観点からは健康上あまり褒められた飲み物ではない。 おおげさな言い方になるが、人間として自然な飲み物ではない。
コカ・コーラもここ100年程度の歴史しかない飲み物だ。

そして、それはコカ・コーラだけではなく、他の飲み物も、お菓子もそうで、もっと広く言えばあらゆる電化製品や車やインターネットなど文明のもとに成り立っているものは大概"不自然"である。

私は、あるものが人間にとって自然か?ということをよく考える。
例えば、高いビルに登った時は、3階ぐらいの建物なら自然の範疇かもしれないが、20階30階なんて不自然だよなあと思うし、毎日TVやPCやスマートフォンを見続けること、そして、それらに登場する直接会ったこともない人に対して憧れの感情を持ったり、怒りの感情を持ったりするのも冷静に考えて、まったくおかしな事だと思える。

逆に、例えば、多くの人が嫌がるムラ社会は、本来自然なものである。
ヒトは単独で生きるのは難しい。独立のヒト同士が必要に応じて連携するというのは、コミュニティでの信頼関係がないと非常に難しいはずだ。
ムラ社会は合理的に自然なものと言える。

しかし、たしかに、ムラ社会は面倒な部分は多い。そして言うまでもなく、現代はムラ社会に属す必要はない。(厳密に言えば、ムラ社会というのは概念的名詞であって、具体的な何かを指すわけではないからこれが自然か不自然かは分からない。)

何が言いたいかと言えば、現代はテクノロジーの発展や、社会の成熟により色んなものが便利になった。それがヒトとして不自然だろうと、目の前の厄介な事が減ったり、恩恵が増えたりするなら、喜んで人はそれを享受するだろう。
私も喜んで毎日のようにコカ・コーラを飲む。

自然さに対する向き合い方は2タイプある。
一つは、ヒトにとって自然のものが常に原点で、出来るだけ原点回帰することが正しいとする向き合い方だ。
もう一つは、常にヒトというのは環境に適応出来るので、状況・環境が変わり続けるならそれこそが原点である。つまり、原点は不動ではなく、常に変動するという考え方だ。
人はこの2タイプのいずれかに属すというわけではなく、この2タイプの配合であって、人によって比率が違うだけである。

つまり、例えば前者は山奥で自給自足し、テクノロジーとは一切無縁の民族などは、ほとんど原点回帰型の比率が高い。高層マンションに住んで、毎日ジャンクフードを食べ、直接ヒトと会うことなく、寝転んでスマホでSNSをみて、それらの情報に一喜一憂するような生活は後者である。
どちらも別になんの問題もない。ちなみに、私は運動もするし、スマホもあまり触らないように努めているが、どちらかと言えば後者だろう。

さて、こんなことを思ったのは、近年、スマホ中毒など後者が危険視されている。要は、原点回帰型が正であるのだ。(それこそ、比率、程度の問題であるが。)

一方で、後者が正だとするポジションを取る人はほとんど見かけないのは不思議だ。
つまり、毎日スマホを触り続け、健康な食事などせず、人とも会わずとも人間は適応し続けるのだとするような主張をあまり見かけない。
実際、肉体的にも精神的にも医学上の問題が露呈しやすいという分かりやすい欠点があるからだろうけれども、こんなに文明が発展したのだから後者のような主義を持つ人がたくさん出てきても不思議ではないと思う。私が知らないだけかもしれないが。

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