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学問の習得

つい先日、"Twitter で医師を拾ってきて Google のソフトウェアエンジニアにするだけの簡単なお仕事"というブログを読んだ。
(時間があれば、一旦このブログを読んで見て戻ってきてください。)

このブログは、2年前ぐらい(?)にバズった"【転職エントリ】Googleに入社します"というnoteがまずあって、同noteは優秀な(noteからの引用:東京大学医学部卒、血液内科専門医。元・血液内科医長)医師の女性が独学でプログラミングを勉強し、紆余曲折あってGoogleへの中途入社に成功するという話。
同noteは星の数ほどある未経験からエンジニアになれました!という類のものとはまた趣向が違い、極めてアクロバティックな転職noteだ。

それで、noteに登場するGoogle面接対策のための模擬面接や対策講座をしてくれる人が、最初に掲載したはてなブログの筆者である。
そのブログの内容としては、noteにある記載にやや認識のずれがあったようで、それを訂正するのが最初の趣旨である。
例えば、面接対策時にコーディングテストをした際に、noteでは、"コーディングスキルは、面接対策にはもう十分過ぎるほど練習済"(引用)という記述があるが、そうではなく、"コーディングの方法が実践的なプログラマのそれではない(競技プログラミングに適応しすぎている)"(意訳)ことに驚いたなどの訂正。

とはいえ、そのブログは、その訂正に終始しているわけではなく、なぜ自らがGoogle面接対策などをやっているか、さらに、そこから派生して、日本における学問水準の低さに対するコメントが続く。
学問を修めることについて知人や人づてに聞いた大学教授・教員のエピソードなどが非常に考えさせられるものであって、他にも田舎初段("専門家には相手にされないが、素人よりは知識があるレベル")という珍しく、的確なキーワードも登場して面白い。

感想としては大変稚拙で恐縮だが、全体を通して高い知性を感じたブログで、非常に興味深かった。だいぶ前に書かれたであろうプロフィールもすでに面白い。
もう更新はほとんどないが、このようなブログを読めると私自身幸福度は上がるので、面白いブログを知っている人がいたら教えてください。

個人的に、同ブログでとても印象的だったのが、以下の一節だった。
"ある日、私は東大の二年生の方に話を聞きました。すると「Google が私達なんかに興味を持つのか」と聞くのです。私は意味がよく分かりませんでした。そして、しばらくして、なぜ進振りで情報系を女性は選ばないのか聞いたところ、いろいろな理由を挙がったあとに、最後に「理学部は大学院がほぼ必須なので」といわれました。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。浅くなった呼吸を整えて、「この程度の情報科学を学び、計算とは何かについて考え、学問がもたらす景色を見ることができると思えないことは、尊厳の……尊厳の問題だと思います。」とだけいいました。"

私自身、学士しかもっておらず、大学の成績はお世辞にも良いものではなかった。
ただ、出来が悪いだけで、学問が嫌いかと言われればそうではない。今となったら恥ずかしい話ではあるが、将来学者になれればいいなと思っていたことは何度かある。

学士の専攻はあまり大したものではなかった(大したものに出来なかった私の能力に因るところが大きい)が、少なくとも修士ぐらいは当たり前のように視野に入れとくべきだったなと思う。
そして、もっと興味がある学問を見つけることに熱心になるべきだったし、少しでも琴線に触れるものがあれば深堀りするべきだった。
もちろん、個人の楽しみとして学べるのだけれど、社会に出て仕事をしながらだとすでに色んな前提条件が変わるし、大学(院)に入りなおすなどしないかぎり学習環境としてはベストにはならないだろう。
それこそ新書などを漁っただけで知識を増やしたと勘違いしてしまう田舎初段になるともはや手遅れである。
(当然、好奇心自体は良いもので、それを満たすために必ずしもアカデミックの水準に達しなければいけないわけではない。)

言われてみると、これまでの人生で修士に行くことを勧められたことはなかった。それは文系であったから、さらに私自身優秀ではなかったからが主な要因だろうか。
私自身、特に目的意識を持ってなかったし、私自身の問題だから日本では学問が尊重されていないなどと不平不満を言うつもりは毛頭ないけれど、大学院という選択肢はフランクに当然のものとしてあったら良かったなと思う。
そういえば、某元・上場企業経営者がセミナーで、"日本の首相は学歴が低い。海外は博士、ダブルディグリーぐらいは当たり前。"と言っていたのを思い出した。
マッキンゼーの元・人事を担当していた伊賀泰代氏(ちきりん氏?)も、"採用において、日本は海外と比べてシグナルが少なすぎるから大学名ぐらいしかない"と言う話もあったし、他にも出典元を忘れたがGoogleも日本だけは採用基準を下げないと人を採用出来ないという話も聞いたことがある。
学歴云々は置いといて、記事の中でも言及されている通り、"FAANG+M(などの米国のトップティアカンパニー)の企業文化を知っている日本人"を増やすことは間違いなく急務であることは同意する。その手段としては、やはりまともに専門の学問を修めていることはひとつの有力なシグナルであろう。

もし、子供が生まれたら、子供に最高の学習環境を整えてあげたいと考える親は多いと思うけれど、それは良い大学に行くこと、外国語を操れるなどを念頭に置いたもの多いのが現状で、専門分野を持って修士博士をとってほしいという方向性ではおそらくないだろう。
孫正義財団に選出されるような卓越した少年少女などは極めて幸運だと思う。(当然、彼らは環境だけではなく、素質も一級品と思われる。)
彼らは一つの極端な例だとしても、学問に興味を持ち、当たり前のように専門分野を身に着けるために修士・博士に進むことが選択肢にあってしかるべきだとは思う。

一方、人をコントロールするようになっては本末転倒で、親が強制力を持って学問を修めさせるのはSAPIXに無理矢理通わせて中学受験をさせるのと構造は同じだ。
(ただし、受験の結果周りに勉強が出来る人が増えて、勉強をするのが当たり前になり、学問の楽しさに気づくというのは極めて一般ルートの範疇だろうから難しいところだ。)

人と何か課題・問題について議論するのは楽しい時間だと強く思うし、それが同じ専門分野を持つ(あるいは共通するトピックを持つ)方々と自らの学問について議論する時間は間違いなく人生の大切な時間になるだろう。

私もブログを書いていて、なんか具体的にアカデミックに絡ませた視点があれば良いなと思うことは多々あって、逆を返せば、それがないとある程度頭打ちが来るような気もしている。

これからの私の人生について、大学編入・大学院受験などは全然ありだなと考えていて、しばらくしたら大学に戻って、博士まで取りたいなとぼんやり思う。
肝心の興味がある分野というのが未定なので、CourseraなどのMOOCsなどで手あたり次第受講して興味ありそうな分野を調べてみようかな。
まだ何も分からないが、ビジネスに関わりがありそうな分野ではなく、社会学・人文学系あるいは芸術系になりそうな気がする。

P.S
最後に、最初に引用した例のバズったnoteを読んだときに、"私はこうしてGoogleに入社した/退社した"系ブログを漁っていた中で、個人的に一番面白かったのが以下なのでおいておきます。
いかにしてわたしは Google に入社し、そして退職したか
久しぶりに読み返しても面白かったです。退職エントリというか上質なエッセイでした。
他のGoogleに入社/退社ブログも漏れなく面白かった記憶がありますので、興味があれば検索して他も漁ってみてください。

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