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もう一本

今年はもう書かないかなと思ったけど、ちょっと時間に余裕が出たので書けた。
というより、前回のブログがやや後ろ向きな内容に思えたため、これで今年がおしまいになってしまうのは気が引けたのでもう一本書かなければと思ったのである。

最近思ったことを書く。

・友人の仕事の悩みを聞いていた時に気づいた話を二つ。
悩みを聞きながら、いろいろと励ましていた。
一番彼に刺さったのは以前私が落ち込んでいた時に、彼が私に語り掛けてくれたことを引用して話したときだ。
つまり、その人自身の過去の言葉を、今の彼にかけてあげただけである。彼にとっては気づきがあったようで、とても感謝された。何よりも当時悩んでいた私が救われた言葉であったので良かった。
悩んでいるときは、自分を見失っているときで、基本的に健全な思考が出来なくなっている。調子がいいとき、どう考えていたかを忘れてしまう。
その言葉は言わずもがなその人の考えを反映しているのだから、助言として一番腹落ちしやすいことだ。
そして、もう別の気づきとして、その友人に"(私)さんはメンタルが強いですよね"といった趣旨の言葉を頂けた。
全く自覚していなかったし、むしろ逆だと思っている。ちなみに、ストレス耐性という意味でのメンタルならば、とても弱い自覚がある。
ただ、"メンタル強い"と見えているとすると何が要因かを考えた時思い当たったことがある。
私は基本的に悲観主義である。それがゆえに、何か悪いことが起こったときに、下振れが比較的に少ないことだろう。
想定内である。自慢できることではなく、結論メンタルも強いわけでもないと思う。

・とある機会を頂いて、何名かの方にメンタリングのようなことをさせて頂いている。そこで気づいた点を二つほど。
メンタリングでは、基本的に信頼関係がないと対話は良いものにはならないという前提がある。
例えば、メンターに圧倒的に実績があり、メンティーが成長意欲MAXでどんな指摘・アドバイスも聞きたいというケースを除くと、結局は信頼関係構築が必須である。
そういえば、ちょうど一年前に同じような内容のブログを書いていたことを思い出した。よければ読んでください。『結局は信頼感
相手にとって必要なことを良かれと思って助言しても、信頼関係がなければほとんど何の意味もない。
メンタリングを受けている側も、変わりたい・こうなりたいという願望があったとしても、潜在的には他人に何かを指摘されたくないし、聞きたいことだけ聞きたい。
次に、何らかの助言をして、表情からあまり刺さっていなさそうだ、アプローチを間違えたかと思うことがある。
ただ、そのあとメンタリングを続けていると、予想以上に深く納得頂けていたりする。
単純に表情・リアクションが大きくないだけで、その方にとって少しは役に立てていたのかとほっとする。
表向きの反応を見ただけで、感情を推察するのは望ましくない。

こんなもんでしょうか。終わりです。

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