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元旦のひらめき

前回のブログに書いたように、大晦日は格闘技イベントRIZINを観に行った。
観戦が終わったあと、上野に行って、友人と年越しそばを食べていた。

食事をしながら、今年は新しく何をしようかという趣旨の話題になった。
私はポツリと、こういうことをやりたいんだけど、どう思う?と以前から薄々考えていたある話を持ちかけた。

すると友人が、"お前がやるっていうなら俺ものるよ!"と言ってくれた。
その提案の性質上、私だけではやや難しそうなプロジェクトだったので、やるとするならば、その友人の協力を借りなければいけなかった。
とはいえ、手伝うとなれば、彼にとって非常に大きな決断となるはずなので安々とは決めれないものである。

それでも、ちょっと私が持ちかけると、すぐにのるよと言ってくれたのである。
そのあと、まだやるか決まってないけど、どうしようか迷ってるんだよねという話をすると、俺がお前のことを助けてやるよ、お前は俺がいないとダメだからねという趣旨の冗談を混ぜた心強い言葉を言ってくれた。

そのときはちょうどお酒も少し入っていたし、かつ元旦の特別な高揚感も相まって、何かひらめきのようなものを感じた。

まず、もし他の人が同じ話をこの友人に持ちかけた時に、彼は手伝うだろうか?という問いがあったとすれば、それは否であると思った。
おそらく私の交友関係の中で、彼との信頼関係は最も深いと思ってるし、彼から見た私もそうだと思う。

とすると、このプロジェクトに関して、おそらくこの友人は私からの提案でないと動かなかったという見方が出来る。
であれば、少しおおげさに解釈すると、これは"私にしか出来ないこと"であろう。

自分にしか出来ないことって何だろうという問いについては、これまで何度か考えたことはある。
それは大概、スキルであったり、経験であったり、自分の原体験であったりというものだった。

ただそれは、比較するとおそらく自分より出来る、知っている、強く感じている人はたくさんいるだろうなという考えが思い浮かぶため、自分にしか出来ないかといわれるとそうではないように思えた。

一方で、思い上がりかもしれないが、先の友人を、私がやりたいことにサポートしてもらうことは、おそらく私にしか出来ないことかなと思える。
面白いのは、彼が私の能力やスキルや経験を評価しているわけではなく、こいつをサポートしないとまずいと彼が思ってくれているから手伝うというのがポイントである。
つまるところ、どんな理由でもいいから、自分にしか動かせない人を動かすことが自分にしか出来ないことなのではないかということである。
そして、それには優れた実績や経験や人徳や金銭的報酬などがわかりやすい例であるものの、今回の例のようにそれは必須の要素ではないことが分かった。
それは抽象化すると信頼感かもしれないが、それだけではなく、こいつ放っておくとまずいから自分が手を貸してやんないとと思われているケースもある。もし私が今後経営などをする場合は、実績や経験や人徳ではなく、このケースのように助けを請うパターンが多くなりそうだ。
当たり前かもしれないが、個人的には結構大きな気づきだった。

その後、別の友人に、この気づきをシェアしてみた。
自分にしか出来ないことってこういうことなのかもしれません、という話をすると、その友人は、"出来ることを自分の人間関係ベースで考えるってことですね。おもしろいですね。"と答えてくれた。
なるほど、"自分の人間関係の中で出来ること"という見方も出来る。非常に興味深いフィードバックである。

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