ZUUHE BLOG

閾値メンテナンス

今日は短めに。最近の気づきを二つ。

まず一つ目、小説をよく読むようになっている。
小説を読んでいると、感情が細かく揺れ動く感覚がある。
日々仕事に集中していると、当然喜怒哀楽様々を感じる。
しかし、それぞれの閾値が高くなっているように思う。

小説を読む効用としては、その感情の閾値を下げることなのではないかと思う。
神経質になってしまうのではないか、という懸念もあるが、微細な変化を感じ取れることは私にとっては意味があることに思えるので、閾値をメンテナンスすることは続けて生きたい。

二つ目、しばらく前に同僚が部下を厳しめに注意しているのを目にした。詰めるという表現に近いものだった。
他人ごとながら、あまり気持ちの良いものではないし、どちらかというと詰められている側に感情移入する。

組織運営において、全員が自律的に楽しく働けるなんてことは相当に難しいということは理解しているつもりだ。
高いレベルの人間だけフィルタリングする、もしくは組織拡大は原則せず、出来るだけ信頼し合うもの同士だけで運営するという方法ぐらいしかそれを実現する方法は思いつかない。

楽しく働きたい、部下のやりたいようにさせる、フラット型の組織なんてことは、部分的には取り入れるべき要素がある一方で、今までの経験上相当難しいし、理想論だとすら思える。
だからこそ、詰めている側の同僚をみても、いい気分はしないが、必要性は重々理解出来る。
少なくとも、これをマネジメント力不足などという言葉で片付けるのは、それこそ想像力不足と言えよう。

部下の指導に限った話でいえば、部下の機嫌をとるようなマネジメントは論外だし、結論、楽をしているだけである。なんでも意見を吸い取って、それを叶えてあげるようなマネジメントは一般的には理想だとは思う。しかし、それらに似たケースを今まで見聞きした経験上、(私の観測範囲では、)いずれも成功どころか地獄だったケースしかしらない。
とはいえ、部下に厳しくするだけのマネジメントは、先ほどのマネジメントよりもより高いレイヤーにあると思うが、それは劇薬のようなもので、持続可能ではないとは思う。
(当然ながら、厳しくすることを推奨しているわけではない。あくまでも、マネジメントとは、やるべきことをやらせるという目的を達成するための手段であると考えている。)

振り返ると、マネジメントの悩みの基本のキみたいなテーマだ。
これに関しては、結論を出すテーマでもないと思う。せめて、生の事例をみて、とりわけダメなパターンを知るのが最善だろうか。

Tweet

© 2022 ZUUHE