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「古いものは良い、よく出来ている」

久しぶりに実家に帰り、私の部屋に置いてあった漫画を読んでいた。

"噓食い"は、ギャンブルとアクションを掛け合わせたような漫画である。
その中で、ある組織のトップが組織の制度を変更するシーンがあり、その時のセリフがこのブログのタイトルである。

「古いものは良い、よく出来ている」
前後の流れもあって、良いなと思ったのだけれど、一方で論理的に考えると、改善を重ねた新しいもの、つまり最新バージョンが最善であるはずだ。

漫画を読んだ後、大量の情報を資料にまとめるというタスクをこなしていた。
そのとき、どうしても筋の良いアイデアが浮かばず、藁をもすがるようにあるフレームワークを使って思考していた。

すると、うまく情報を整理できて、なかなか悪くないレベルで情報を処理することが出来て助かった。
私自身、フレームワークを使って情報処理することはあまりせず、文面ベースで思考して、まとめてしまうことが多い。
実際、そのフレームワーク自体も古いとか、現代ではあまり使えないと言われることがあるのだけれど、今回はうまく活用できた。
(ただ、そのフレームワークを使うまでにすでにいろんな情報を浴びていたからという前提はもちろんあるかと思う。)

さて、古いもののほうが良いケースがあるとすれば、それは何が原因だろうか。

まずは言うまでもなく、単純明快で意識しやすいこと。
ルールは様々なシチュエーションに対応するために進化する。複雑性も高まる。本質的ではない例外ケースに対応するためのルールが出来て、それが制約となってしまう。
それが目の前のケースに当てはまるかどうかは別として、意識・把握するためのリソースが取られてしまう。

必要最低限からはじまり、リスク状況に応じて最善のルールに変わっていく。

読書をするなら古典をよむべし、という話にも通じる話かもしれない。
多くの本は時間の洗礼にしたがって淘汰されていくため、生き残った古典が名著である可能性が高いという話である。ビジネスフレームワークも同じで、時間の経過によって多くのフレームワークが生まれるが、なんだかんだ生き残っているフレームワークは使えるのかもしれない。

もちろんこれは、”古いものが良い” は必ずしも古いものが単独かつ現行ルールに並行して残っているとかではないため異なる論点なのだが。

先ほど挙げた単純明快で意識しやすいこと以外の良さでいえば、感覚的にいえば熱量なのではないかと考えた。

古いものはそのときの必要最低限であり、それは会社経営に例えると会社設立時点のカオスで不確定な状態。その時のメンバーが組織を大きくするうえで必要だと考えた必要最低限でありその時しか生まれない純粋な思いがある。

私も本ブログを読み返していると、設立当初の古いブログはなんか良いと思えることがある。それは、ブログを立ちあげて10年規模ぐらいで資産的に何かたまっていくものが欲しいと誰に向けるわけでもなく一心不乱に自分の思考を書き連ねていたけれど、内容ももちろん好きなのもあるし、ブログ設立当時のより純粋な気持ちみたいなものが込められているように感じるのだ。

P.S.
実家に帰るたびに、いろんな漫画を読み返すのだけれど、DEATH NOTEってやっぱり面白すぎやしないだろうか。
そして、一気読みすると、Lが死んだあと状況が複雑になりすぎて疲れてしまい流し読みになってしまうのはあるあるに違いない。

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