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親友と再会した話

最近3年ぶりぐらいに親友に再会した話を書く。長くなる。

親友といっても、年齢は私よりも上で、私の兄貴分のような存在である。でも親友だと思う。

私は彼の思考や考え方に大きく影響を受けていると思う。
私と彼の思考パターンはあまり違うと思うのだけれど、特に人間関係、人と接するときにどうあるべきかという考え方においてはかなりインパクトを受けている。
例えば、何かの意思決定や考え方をしているときに、この人だったらどう考えるかと思える人は何人かいて、そのうちの一人だと思う。

さて、彼との経緯について書いてみよう。
私は10年前ぐらいに海外留学したことがあり、そのときに知り合った日本人の友人がいた。
同じ語学学校に通っていた友人だった。

私の方が先に日本に帰ってしまったのだけれど、彼とは本当に文字通り毎日一緒にいた時期が多かった。
思い出すと、まったりとベランダで日光浴したり、ウォルマートで安い冷凍食品を買いに行って食べたり、他の友人も含めてレジャーランドにいったり本当に楽しい日々だった。

留学経験自体も振り返ると、私にとってはかなり貴重なもので色んなことを学べた。
辛かったことも沢山あり、すべての時間が楽しかったわけではないが、楽しかった記憶を思い出すと基本的に彼がそこにいる。

海外留学した当時、私は18歳だった。
日本から来た人はたくさんいて、日本人のコミュニティがあった。
18歳だと、大体どこのコミュニティでも最年少だった(それは外国人を含めた語学学校でも)。
少なくとも2~3歳は離れていた。(中央値でいうと、24歳ぐらいが一番多いレンジだった気がする。)

私は一番年下のクソガキというポジションだった。
中高は部活にも入ってなかったから年上・年下のコミュニティには慣れていなくて、私は生意気なガキだったので、必然的に損を食らうことは多かった。
年下に対して、偉そうにする人間はとても多く、彼らみたいになってはいけないなぁと痛感したことは覚えている。
今でも年下に対して、必要以上に偉そうな態度をとるような下品な人は苦手だ。
帰国したあとも、社会人になっても、年下に対しても敬意を持とうというのは意識していて、当時の経験は生きているなぁと感じる。

とはいえ、世の中悪い人ばかりではない。
当然にまともな人も多く、彼もそのうちの一人。非常にまともな人だ。
語学学校で初対面だったときに、語学学校に似つかわしくないシックでファッショナブルな服装で流ちょうな英語を話す彼に、 「あなたみたいになれたらいいなぁ」と拙い英語で話すと、「いやいや、君はもっとうまくなると思うよ」とさらりと伝えてくれたかっこよさは今でも覚えている。

語学学校では近寄りがたい存在ではあったのだけれど、一度仲間内のパーティーで一緒になり、初めて日本語で話したときにチャーミングな人柄であることが分かり、その次の日に別の友人も含めて遊園地にいって仲良くなった。

彼は、大学生だったのだけれど、当時から意識が高く、PRプランナーになりたいんだと話しており、自室の本棚にも日本語のPR関連の本があった。
(ちなみに、日本語の漫画ワンピースの最新刊もあった。彼はワンピースが大好きで、日本から送ってもらった最新刊を読むときは、「ワンピースが届いた。今日はワンピースに集中が必要だから遊べない」と丁重に断られたことがある。)

そんなチャーミングであり、まじめな彼と気が合って、一緒にふざけあう以外には、Ted Talkを見て、お互い意見を言い合ったり、このブログに書いているような日々の雑感を話し合ったりした。

先ほどに書いた通り、私は留学先から先に帰ることになった。
帰る際に、私はお世話になった友達には手紙を書いた。
人に手紙を書くことなんてそれまでなかったのだけれど、帰国直前に住んでいたシェアハウスのルームメイトから感謝の手紙をもらったことがあり、そのときの体験から私も帰国のときにみんなに送ろうと考えた。
手紙は少々毛恥ずかしいものの、気持ちや言葉を伝える手段としては本当にいいと思う。

彼にも最後手紙を渡した。帰国してから、スマートフォンをみると、彼からお礼の連絡が来ていた。
同じく感謝の気持ちをつづったメッセージとともに、印象に残っているのは「(私)と仲良くなるにつれて思ったより、こいつ友達多いなぁと感じていたけれども、その中でも俺が一番の友達だぞという自信はあった。」という言葉だった。
感動したし、間違いないだろう。冒頭に親友と書いたのもそのためで、私も彼に直接親友だねと言った事もないが、親友に違いないと思う。

さて、次に帰国後に彼と会った話をしよう。
彼とは帰国してから何度か会った。私も大学に入学し、彼も大学生だった時期もあるし、両方社会人になった時期もあった。

彼は、最初の軸の通り、国内でも有数なPR会社で、PRプランナーになった。
そこで、私と彼の考えの違いが少しづつ生まれた時期があった。それは良いか悪いかの話ではなく、考え方が違った。
ただ、当時の私は彼以外の友人からも言われていたように、"かなり尖っていた"らしいので、どちらかと言えば私が悪かったと思う。
彼に突拍子もない議論を吹っ掛けることが多く、それはやや挑発的な言い回しもあったように思える。(書きながら強く反省の念が出てきた。ここまでくれば、もう完全に私が悪いだろう。)
それに対して、彼がややイラついていた感があった。

その中でも印象に残っているのは、その突拍子もない議論の中で、彼が最後にふと気づいたように以下のようなことを言った。
「さっきから何で攻撃的なことばっか言ってくるんだろうって、多少ムカつきながら話してたけど、お前は単純に好奇心で質問してたんだなってことに今気づいたよ。」
その実、本当に悪意がなく質問していたのだ。だからこそ、彼がイラついていたのが不思議で話していた。私もそのときに、こんな問いかけ方は相手に失礼になるなぁと反省しながら家に帰った記憶がある。

その後、何度か会ったが、そのとき以来連絡していなかった。
とはいえ、彼を嫌いになったわけではなく、私自身かなり思い悩んでいた時期だった。

そこから数年たって、私も色々経験して、気持ちも安定してきたので、そろそろ会うかと思いついて、Facebookで連絡した。
後から分かったことだが彼はPR会社で着実に経験を積んだあと、現在は誰もが知るIT企業でPRを担当している。

連絡して、次の日に会うことになった。
昼から散歩をして、そこから2軒ほど飲み歩いた。
それはそれは本当に楽しかった。

久しぶりの再会も、すぐに「やっぱり変わってないなぁ」と深い安心と感激の念を得た。
初めて彼と知り合ってから早くも10年経った。その時から彼の良さはずっと変わらないし、ずっと同じ軸を持っている。

思考を発散する場が欲しいと常に思っていたからこそ、このブログを作ったし、昔よりも思考を発散しあえる友人や仕事仲間が増えた。
それでも、今改めて彼に会ってみると、やっぱり一番奥底で通じ合っている感覚がある。

大学に入学した後に、大阪から東京に出てきて、それなりに楽しいと感じながら大学生活を過ごしていた中で、大阪に帰省した時のことを思い出した。
その際は、高校時代の友人と久しぶりに会ったのだが、「楽しすぎる。こんな楽しい時間最近なかったな」と思って、とても感激した覚えがあり、その感覚に近かった。

彼とは再開後すでに数回会っている。
酒を飲むだけではなく、お昼に集合して、2時間ほど散歩しながらお互いの思考を話し合う。
彼は本当に好奇心の塊で、私の考えにも毎度研究者のように面白がってくれる。それに深い敬意を感じ取れるので、会話していると心地いい。

それに関連して言えば、基本、人が対話するときには誰しも無意識で、「なるほど、この人はこういう事を言いたいんだな。であれば、このように返答しよう」という自動的な会話返答機能が働く。
でも、彼と会話するときには、とりあえず話し終えるまでは待ち、話し終わってから自分が思いついた思考をベースに返答している感覚がある。
これは対話において、とても大事な意識だと思う。
自動返答機能が働いてしまうと、自動返答機能で思いついた思考以外をシャットダウンしてしまうため、本当に大事な対話が出来なくなってしまうことがあるからだ。

ちなみにこの気づきは、このブログでも何度か紹介した倉本圭造氏が提唱している『対話の考え方』であって、はじめて聞いたときに膝を打った。
夫婦やパートナーと話し合うときに、「こう言い返してやるぞ」と思いながら相手の話を聞くのではなく、言い終わってから自分が持った感覚を相手に話す方が対話がうまくいくケースという話だ。

少し話を拡張すると、人には無意識的に思考をパターン化したり、線形的な因果関係を作ってしまう。
自分にとって大事な軸(ex:人生哲学や座右の銘など)がある場合、それであらゆる事象を納得できるというメリットがある一方で、それ以外思考を切り捨ててしまう恐れがある。

私もその友人も、その切り捨てをしてしまうのは悲しいよね、という根柢の感覚が一致しているため、いつも色んなトピックに拡張させて、あえて何か一つの結論に集約させないようにしている。

話を戻すと、実は彼と再会したときに、すぐ盛り上がったものの、少し彼が私に遠慮しているような感覚があった。
単純に久しぶりにあったからこそ、少し溶け込むのに時間がかかるという側面もある一方で、しばらく経ってから答えが分かった。
「今、(私)は独立していて、久しぶりにあって、俺(友人)の考えていることに対し、論理的な正論やアドバイスみたいなことをするような人になっているんじゃないか。」と不安を感じていたらしい。
でも、先ほど述べた話に通じて、私は彼に対してそのようなポジションをとれるぐらい偉くもなければ、そもそもそこまで論理的正論に偏重した思考ではない。

だからこそ、深く話し合えたと思うし、本当に楽しかった。

先日、彼が「ここ最近何回か会って話したことだけでも、結構(私)から影響を受けたよ。結構思考も変わった。(私)からみて、なんか俺に変化があったと思う?」と言われた。
私も再開してから会話したことでまたあらゆる価値観は変わったものの、「私も (友人)さんと会話して、また価値観が変わりました。でも、最初にあった10年前と今。僕も(友人)さんもずっと同じだと思います」という話をした。
それで二人とも納得した。変わってほしくない(大事にするべき)部分はずっと変わってないなと強く再認識した会話だった。

青春小説のようなブログになったが、一旦ここで終わりにしよう。彼との会話で気づくことはとても多い。また、会って話したことをブログに書こうと思う。

p.s あぁ、やっぱりブログはいい。文字を書くことは大切だ。特に今回のような自分にとって大事なことは文字に残さなくちゃいけない。欠かせない。
彼にもこのブログは再会したときに共有したし、書いたら送る予定。
To その友人へ。 多少、褒めすぎましたか?また会った時に感想を聞かせてください。

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