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パラダイムシフトの実感

体力をつけたい。
週に2度のペースでキックボクシングを1時間ぐらいやっているが、それでも運動量としては十分ではなく、理想的には毎日やることが求められる。

b-monster(暗闇ボクシングフィットネス)に通っている友人は毎朝5時ぐらいに起きて、出勤前に行っているらしい。
いつも顔色が良く、頭も切れるし、性格もさっぱりしてる。
酒も飲み会で嗜む程度。至って健康。

はっきりいって毎日5時起きで、朝からハードな運動をやるなんて、なんて素晴らしいルーティーンだと思う一方、私は真似出来ない。
(とはいえ、おそらくしっかり予定を決め込んで、就寝時間を規定出来れば問題なさそうなのだが仕事のことを考えると何かと出来ない。)

仕事の体力をつけるには、精神的な体力というわけではなく、物理的に体力が必要のように思える。
※ もちろん一切運動せず、無限の体力があり、朝から晩まで嬉々として働いている友人もいるので、例外はある。

ただ、運動は一応しているが、毎日ランニングやジムに通うのは億劫だ。

ごろっと話は変わるが、健康的な生活に関する関心がかなり高まっているように思う。

特に20代とかはとても多いように感じる。
物理的な体力もそうだし、平穏さや健やかさな対する関心が高まっている。

とはいえ、結局ほとんどの人は、濃淡あれど仕事を順調にこなして、社会的地位も安定させて老後楽したい、みたいな考え方がなんだかんだ多いだろうと感じてはいた。

でも最近、想像以上に、ウェルビーイング的な側面の比重が思ったより大きいのではないかと感じるようになってきた。

この傾向の起源はYouTuberやTikTokerなどのインフルエンサーのように好きなことで生きていくみたいなのが10年前ぐらいから流行りだしたころかな、と個人的には考えている。おそらくもっと前からあるんだろうけど、それらのインフルエンサーが出没してからその傾向がより強まった感がある。

その傾向はエンタメの分野だけでなく、ビジネス分野でも当然に流行っていて、怪しめの情報商材などもかなり増えてきたのもその頃ではないか。

今、「遊びのように仕事するのが当たり前」みたいな一昔前のビジネス系インフルエンサーの煽りをみると、なんか懐かしいっていうか、やや古さを感じるぐらいだ。

仕組みとしては、遊びのような仕事をやってます、と言いつつ、実はそんなビジネスインフルエンサーは、上位1%よりももっと小さい割合の外れ値で、流行っているように見せかけて、蓋を開けてみれば知名度しか強みがなく、インフルエンサービジネスであるみたいなケースが多い。
その人だけが儲かり、再現性は全くない。
タチが悪いのは、そのインフルエンサーにも自覚がないので、平気で人に勧めるし、出来ない人には努力が足りないと本気で思っている。

それを追って、わけのわからないビジネスをぶち上げて、誰からの需要もなく、ぼやっと終わるみたいなビジネスは数え切れないほどあるだろう。私の周りにはあまり強く影響された人はみないが、SNSなどでは散見される。お気の毒に思う。

※ 便宜的にビジネスインフルエンサーとしているが、必ずしもビジネスインフルエンサーだけでなく、類似した性質を持つ人はたくさんいる。

結局それらはビジネスというよりも、旧態依然のTVの有名人がブランドを始めるみたいな文脈と本質的には変わらない。

だからこそ、そういう「よく生きよう」「楽しく生きよう」という新しいとされてきた価値観も、結局できる限り出世しよう、楽に稼ごう、みたいなところと変わらないだろうと思っていた。

わかりやすい代表的な一例として、会社の評価なんて気にしなくていい、個人の時代だ、みたいなセリフもよく聞いてきたと思うが、フォロワー、再生数などの知名度的なKPIが重要になる。それがないと成り立たなくなる。

ただし、デジタルマーケティングの専門家の端くれとして強調しておきたいのは、SNSというのは圧倒的な"強さ"を持っている。

磁場が変わるように、従来のマーケティング施策なんて比ではないぐらいの圧倒的な強さがある。

SNS自体が悪いという話ではなく、一度ここまでの話を整理すると、ここ10年ぐらいの新しい価値観とされてきたウェルビーイング的なものは結局これまでの価値観とは変わらず、見せ方が変わっただけ。
新しい価値観、ではなく、新しい見せ方であったのだ、と思う。

本質的な価値観は新しい見せ方であっても、軸足は圧倒的に昔から続いてきた価値観の方にあるのだろうなと思っていた。

ただ、ここからが本題で、その価値観が本当に変わりつつあるのではないか?と実感してきた。

気づくのか遅い!と一部の人に思われるかもしれない。
(情報商材畑のおかしな詐欺師まがいのインフルエンサーからの指摘は論外なので除く。受け付けない。)

でも、本当に私が実感し始めたのがここ最近だ。昔から仲良かった人も、仕事の同僚も、新しく会った人からも話を聞いていて、心から実感し始めた。

YouTubeなどが流行り始めた10年前ぐらいたってようやく肌で感じ始めた。

具体的には、たとえば東京の都心部とれる珍しいお米があるとする。
それが、ある地方でブランド米を生産していた米農家が、東京発で世界に愛される米を作りたい!みたいなストーリーでめちゃくちゃオシャレなパッケージで販売して、SNSで話題になり売れたとする。

ストーリーに共感したから買ったみたいなよくある話だ。

そんなストーリーを見るたびに、話題性で一時的に購入するかもしれないが、結局商売として成り立たせるには、結局コンセフの差別化や、プライスや、いかに第一想起取れるか、ペルソナにあった施策実行して面をはれるかだ!
結局、ストーリーに共感してかう人なんて市場としてそんなに大きいわけないだろう!
みたいなことを思っていた。

(あくまでも例えだけれど、そこまでずれてはないとは思う。)

ただ、最近、本当にそういうストーリーに共感したという動機で買う人って、実はめちゃくちゃ多いし、価値観が本当の意味で変わってきているんではないか?と思ってきた。

上記はマーケティング販売戦略だけの視点で書いたので、ストーリーに共感するか否か、そしてそれが購買につながるか否かって話しか書いてないが、強調したいのは大きな価値観の流れが変わってきてるのを感じ始めたということだ。
様々な事象に敷衍出来る。
例えば、人事制度設計関連のプロジェクトに最近関わった際にも、私は会社が設計するVISIONやVALUEみたいなものは、机上の空論的な意味合いもあるだろうなと感じていたが、本当にそれを重視する傾向が強まっていると感じた。

気分を害した人がいたら本当に申し訳けど、本当にそう思っていた。

でも、本当に変わっているのではないかという聞き用によってはなんの目新しさもないかもしれないが、最近の中で個人的にかなり大きな発見だった。

書いてたら疲れた。
ここから発展した話を書ければよかったのだけれど、これ以上アイデアが出てこなかった。
以上。

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