主観の集合体

直近、私の叔父が亡くなったので通夜葬式に行ってきた。私の母の兄弟。
人生で通夜・葬式出たのはこれまで3回ぐらいだけれど、あまり会ったことのない人が多かったので、自分にとって思い出が多い人が亡くなったのは初めてだった。

従兄弟とも久々に会った。

病気で亡くなったのだけど、あたらめて人生は短いなと思った。私は従兄弟(つまり、亡くなった叔父の子供)とも仲が良いので、ショックだったろうなと思う。

週末土曜日に東京から大阪まで移動し、家族で参列して、日曜日の葬儀を途中まで参加し、仕事があったのでそのまま東京に戻ってきた。

葬儀中いろいろ考えることがあった。
私の両親はまだ健在だけれど、私の両親もいつか死ぬよなと思ったし、私の近い知人もこれからの人生で急に亡くなったりするだろう。もちろん自分自身もそう。

人生は短いなぁということを考えながら2日過ごしていた。

毎日心地よく、友人とも仲良く、健やかに過ごしたいなぁと考えることがここ最近強まってきたが、よりその思いが強くなっていく。

さて、今回の葬儀では、母がいろいろ辛そうで、心が痛くなった。詳細は書かないけど、色々事情があり、大変だった。

普段私が接していないような方もたくさんいて話し合いなども聞いていると、ひとつコミュニティが違えば、いろんな人がいてプロトコルが異なる。

あまりこれについて思い起こすと、あまり良い気持ちもしないので書き起こさない。

ちょっと話を変えて、東京に帰ってきてから、ブログに何度も書いているお気に入りの小説の「日の名残り」を心を落ち着かせるためにも再読した。

もうあらすじとかは何度か聞いているので省略するとして、あらためて感じたことは、世の中の価値観って主観の集合体だなと改めて感じて、先ほど書いたようなこととつながった。

残り人生も長いか短いかわからないが、とりあえず心が快適になるように生きていこうと思う。

なんか変なブログになったが、なんか書かないと頭の中にあるわだかまりみたいなのが抜けない気がしたので書いた。

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