価値観に関する面倒な価値観

先日、沖縄に行ってきた。
仕事先の代表が企画してくれて、私が所属するチームメンバーの合計7名でいった。

当然だけれども、今まで仕事が中心の付き合いであって、ここのメンバーとは飲み会とかはいっていたメンバーもいたが、今回はMTGは挟むもののほぼプライベートの旅行だった。
海にも入れたし、ごはんも食べたし、お酒もたくさん飲んだし、これまでの人生で数回しか行っていない沖縄旅行の中でも最も充実した旅行だった。

沖縄というリゾート地独特の風土も相まって、とても充実した旅行だった。
沖縄は海外にいくよりも当然安いのにも関わらず、郷土料理も多彩でおいしいし、30分ほど車に乗ればビーチにいけるし、人も良いし、世界的にみた旅行先の満足度かなり高いはず。

ドライブをする時間も多く、社内は、みんな進行方向に向かって座るので、対面ではないから対人プレッシャーも軽減されるし、車の揺れでちょうどいいリラックス効果があり、発散的な会話に向いている。
(※ 実際に、f分の1のゆらぎ、というリズムがあるらしく電車のゆれや、炎の揺れなどがリラックス効果を生み出すらしい。原理はWikipediaを見たけどあまりよくわからなかった。)

ドライブや食事の時間が多く、開放的な環境で、ほかの人との価値観を感じる機会が多くて、印象的な出来事がいくつかあったので書きたい。

- 人に興味があるかどうか
お酒の席のノリで、改善点を言い合うみたいな話題になった。
その中で、私の欠点として、かなりドライ、人に興味がなさそう、という言葉(評価?)をもらった。

私はかなり人に興味があるほうだと思っていたので、自己評価と他者評価の違いにかなり驚いた。

以前、別の場面で、人が好きかどうか、みたいな話になったときにも感じたのだけれど、私は人が好きという自己認識を持っていた。
しかし、先のフィードバックをうけて、あらためてその問いを思い出して、自分は人が好きなわけではないなぁと思いなおした。当然場面によるだろうが。

他人が今まで人生でどんなことを経験してきて、どんなことに喜び・悲しみを感じるかなどは非常に興味がある。
だけれども、人自体に興味があるわけではない。違いは何だろうか。
多くの人もそうだと思うが、人と長時間一緒にいることには疲れを感じる。
初対面の人と話すことに何の抵抗もないし人見知りもしないが、あらためて興味があるわけではないと感じた。

ただ、ここでのポイントは「人に興味があるかどうか」というよりも、「人に興味がないと思われるのはなぜか。どう見られているからそうなったのか」というところにある気がする。

たとえば、話題に興味がないときにわかりやすい、みたいなことがあるとすると、それは実際に興味がないのもそうだし、なるほどーと自分の中でしばらく考えて黙っているから、興味がなさそうに見えるというのもある。
人への見られ方をコントロールしようと面倒なことをするつもりは全くないが、自分への客観的な評価と事実は別にして、そう見られる理由を考えることをあまりしてこなかったなぁと思った。
ただ、これはかなり興味深い考え事なので、移動中とかで暇なときに、「自分は○○さんからどう思われているだろう、それはなぜだろう、自己評価とどこが違うだろう」と考えてみようと思った。

- ハイテキスト文化
さきほどの話とも通じるが、ある一人のメンバーが極端に言うと、自分の思っていることをはっきり言って、対立してでもいいから、理解を深めあいたいという発言があった。
言い換えれば、対立することも特に不快感はない、という価値観である。

世の中にはいろんな人がいるなぁとあらためて当たり前のことを気づいたいいきっかけだった。
自分が抱えやすいストレスを感じないだろうなとうらやましいとさえ思ったし、当然その一方でその方が抱えやすい悩みを私は感じないこともあるだろう。

さて、忖度なく思っていることを言うというのは、よくベンチャーとかで推奨される文化であるような気がするが、チームでやっていることを考えれば、経験上かなり損をする対応だとおもう。私はその手法を取らない。
忖度なく言い合うのが理想の姿というのははたしてそうか?という疑問符はつく。うちは忖度なしで言い合う文化ですとっている組織がその通りだったためしがない。一部の決裁者だけが言いたいこと言っているだけのことが多い。

たしかに信頼感があれば、成立はするはず。創業メンバーと、そのあと成長したあとに入ってきたフェーズで対立が起こりやすくなるのはそのせいである。後発メンバー間との信頼感が十分にない。
あと、前提として、言いたいことをいう、というのは、自分自身が実力があり、決裁権がある立場でないと、単純にエゴであり、迷惑をかける形になる。
いずれにせよ、信頼感さえあればどうにかなるわけなので、言いたいことを言うのであれば、うまく何らかの材料でそれを担保しないといけない。

さて、まぁ一旦その手法の是非はおいておいて、今回のこのトピックについてあらためて気づいたのは、私はハイテキスト文化タイプの人間だなとあらためて思った。
極端にいえば、言わずともわかるだろう、言わないとわからない人とは合うことはないだろうという話である。あうんでいきたい。
期待しあわない分、役割を明確にすれば、お互いスムーズにいくはず。
難しいことはわかっているが、想像で補い合う関係でいたい、想像力がある人がやりやすい。

- 「かわいい」を区分する

私はアメリカ雑貨/トイが好きで、アメリカンデザインが好きである。
沖縄は、アメリカンヴィレッジに代表されるようにアメリカンデザインの建物や、オリオンビール/Spamなど沖縄現地の雑貨もアメリカンっぽいデザインになっていることが多い。
私は沖縄がアメリカンデザインがあふれているから好きというのもある。
将来沖縄に住んでハーレーに乗って、アメリカンヴィレッジを散歩するみたいな生活したいなぁと思った。(まだ大型バイクの免許すら持っていないが)

とあるパーキングエリアで、ガチャガチャがあった。
それをみていると、一緒にいったメンバーの一人が、オリオンビールの雑貨のガチャガチャを指さして、「これはかわいいと思うの?」と言われた。
「はい!かわいいと思います!」と答えると、別のガチャガチャを指さして、「これは?」と別の質問。「これもかわいいです!」
「どういうところがかわいいの?」「う~ん、どういうところだろうな。」という会話。

つまりは、かわいいを言語化しようと思ったことがないなぁという話。

抽象化すると、好きは何か、ということを区分して言語化しておきたいな、と感じたことだ。
デザインは特に言語化しづらい。
アメリカンデザインが好きとはいえ、MARVELっぽいデザインが好きなわけではない。
ややダサい、丸っこいデザインがかわいい。
以前ブログにも出した「ちいかわ」はデザインが好きで入ったわけではなく、アニメを見る前まではキャラデザインを好きなわけではなかった。

今持っているフィギュアや雑貨のデザインや、好きなアーティストのデザインをみて、何がかわいいかを区分してみよう。

以上。なんか価値観に関するトピックは自己矛盾をたくさん孕んでそうだし、考えれば考えるほど場合と状況によるし、当たり前のことなので書いてる途中にめんどくさくなるね。
読んでてめんどくさかったよね?読んでくれてありがとう。次回も読んでね。

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