なんで知識が簡単に手に入らないんだろう?

最近、新しいことを学ぶというか、新しいことをしたいと思っていてよく感じる不満である。

ノウハウは金になるから無料では簡単に出せない、という理屈はよくわかる。
しかし、何かをやりたいと思ったときに必要な汎用的で具体的な知識が見つからないのだ。
正確にいえば、検索しても簡単に出てこない。または、インターネット上にない。
※ 当然検索の仕方が悪いという線もあるが、一旦そこは今回はスコープにおいていない。


こう書くと、「インターネットの情報なんて頼りにしている時点でおしまいだぜ坊や」というセリフが聞こえてきそうだけれども、こんなにテクノロジーが発展しているのに、汎用的で具体的なノウハウがすぐに見つからないことってなんかおかしくないか?

あくまでもたとえ話だけれども、例えばニューヨークで寿司屋を開きたいと思ったときにどこにどう頼んで、いくらかければ、それが具体的かつ最も期待値が高く実現できるのかの方法がすぐにはわからないはずだ。
繰り返すように、これは実際に検索してわけではないから「本当にわからないかどうかもわからない」が、ある程度ざっくりとした情報はわかるが、実現するまでのイメージが浮かばない程度の情報しか集まらないはずだ。

きっかけとして、先日のブログでアーティストの村上隆氏にちょっと触れたので、これを機に氏の「芸術起業論」という本を読んだ。
タイトルはややイタさがあるが、日本の美術に対する感覚に対してのアンチテーゼとして村上隆自身がかなり苦悩してきたことがわかる点でめっちゃおもしろい。
その本の中に次のようなシーンがあった。


村上隆が等身大のフィギュアを作りたいと思う
→ 岡田斗司夫氏に相談する
→ ある会社を紹介される
→ その会社の専務に、やろうとしていることを馬鹿にされながらも、会社に来いと言われる
→ とりあえず向かったら、その会社のエース造形師と合わせられる
→ 話しかけてもなしのつぶて。やりたくもないとも言われる。
→ その後たらい回しに造形師を紹介されて、やっとのことで作り上げる


みたいなストーリーがある。


これって、最初からネットで検索して、その造形師に頼めばうまくいったんじゃないか。
もっと言えば、造形のノウハウさえ理解すれば、村上隆氏はおそらく自分で再現できたんじゃないかと感じた。


これって、村上隆がディスられたり、振り回された結果、なんか精神的・時間的コストがとても無駄じゃないか、と感じたのだ。
(※エピソードを簡略化するためにかなり中間をはしょっているが、村上隆氏はそこまで嫌な出来事として書いてはいない。もっといえば、このコネクションを機に、プラスの出来事も多い。)



これって、もうちょっとテクノロジーが発展すればできることな気がするな。
とてももったいない気がするんだよな。


世界の幸せの総量を増やすためには、個人の幸せが満たされた結果、世界の幸せの総量が増えると仮定する。
その場合、その個人個人のなりたい目標までのルートが完全にステップバイステップでわかれば、みんなそれをこなすだけでいいんじゃないかな?と思ったわけ。


でも、そのための具体的な方法はすぐにはわからないことが多いように思える。
その結果、ざっくりとした情報として、このルートが正しそうだと推測したうえで、とりあえずそれらの経験が詰めそうな組織に入って、研鑽し、技術を学ぶ。学校とかもそれにあたるはず。
後から振り返ったときに、その技術って後から考えたら本質的にはこういうことだよね、と抽象的にわかるものに加えて、具体的にはこうだ、とロードマップを具体的に引けるものもあるだろう。
これらはすべて限りなく言語化すれば、少なくとも大幅には時間を短縮できたはずだし、もっと言えば、その進路に進む前にそれを昇華すれば、わざわざその進路を選ばずに、より最適な道を選べた可能性もあるとすれば、時間も費用もコストカットできるはずなのだ。


もちろん、実践を踏まえた経験をするからこそ学ぶことはあるのは理解できるが、そのある道に進んで投下した時間や費用はコストとして多くの場合、大きすぎやしないか。
もっと言えば、知識などの習得以外の自分に与えるアンコントローラブルな要因が大きすぎるような気がする。


例えば、ある管楽器のプロミュージシャンになるために、プロを多数輩出している音楽大学に行くのが最適解だと判断したとする。
しかし、その音楽大学のオーケストラで実力的にはトップレベルのレギュラークラスになれたものの、嫌な奴がいて、パフォーマンスに影響するレベルでいじめを受けるなど。
当然、そんなものは相手にしない、もしくは、ぶち切れ返してやるみたいなアプローチで解決はできるとしても、知識を習得するためのリスクであることには変わりない。


もし、事前にプロのミュージシャンになるためには、どういうステージに立てば実績とされて、そのステージに立つためにはどんなスキルセットが必要で、そのスキルセットを証明するには誰にどう認めてもらって、どのように推薦してもらえばいいのか、自己プロデュースとしてはどのように宣伝するのがよくて、、、みたいな具体的な方法さえわかれば、そもそも音楽大学にはいかなくていいはずである。


賢い人は当然その道に進む前に、うまく情報収集して、正しい一手を打つことが可能であり、戦略的にキャリアを築く人もいる。
ただそれは確率論的な話もあって、結局あるひとつの変数が狂わせてしまうケースもあるかもしれない。


ジャンル問わず成功した人のストーリーをみていると、その情報にアクセスするときに結局たまたまそれを知っている人が周りにいた、出会ったみたいなケースも少なくない。
そもそも、村上隆の例も、最初に岡田斗司夫氏がいなければ成立しない。


結局、知っている人になんとかして会って聞くのが一番良い、というのはある。
これは以前ブログにも書いた。(2020_1107 最も効率的な情報収集方法)

(※ 最近私も、ある分野でこの人おもしろいな、どうやってこんなことやっているんだろう、と直接コンタクトしたんだけど、わざわざその人の時間を奪うのは申し訳ない。
「その方もわざわざなんで私が教えなきゃいけないんだ。他の人に聞けよ」と思うだろう。※その他の人の見つけ方もよくわからないのだけれど。)

だからこそ、もっと気軽に手に入ってもいいとも思う。(当然、場合によっては無料で手に入るとは限らない。)


虎の子のような秘伝ノウハウかと思ってコスト(この場合何らかの情報商材を買うみたいな話ではなく、例えばキャリア単位でのコストのレベル)を払っても、入ってみたら結局こんなものだったのか、じゃあ別にここじゃなくてよかったわ、なった場合のコスト。


とてももったいないと思うし、健全ではない気がする。
実装を考えると、それはとても難しいことだと思うが、もうちょっとうまくできそうな感じがする。


特に教育面では非常にインパクトがあるはずだ。


ChatGPTが出てきて、これにかなり近い世界観になってきているが、もっと具体的なレベルまでわかれば本当に世の中不幸になる人が減るはずなんだよね。


とはいえ、結局個人にどれぐらい当てはまるかみたいな問題と、情報を精査するリテラシーは必要になってくるが、それでも期待値を判断するためには必要だし、そのためのコストは出来る限り少ないほうが社会にとっていい気がする。

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