職人って素晴らしい、ポジションをとること

今日は雑記。短いものをいくつかと思ったけど、ある程度の長さの文章が2つになった。

【職人って素晴らしい】

最近、あることを新しく学ぼうと思って、オンラインで専門家に週一ペースでレクチャーしてもらっている。
とあるデジタルツールの使い方である。

その方は、その業界30年を超える超ベテランで、その業界ではトップレベルの方である。
とはいえ、業界自体がそこまで市場が大きくなく、そのツールを学びたい人間が世の中にそこまで多くないという構造に加えて、その先生のギブ精神もあり、先生の経験から考えるとかなりの格安で教えてもらっている。

彼のような人が世の中にいるという点で、非常に助かる。もっと早く連絡しておけばよかった。
教え方もうまく、自身も上達する感覚があるので、毎度新鮮で面白い。

彼自身はその業界に入ったが、そのデジタルツールが主流ではなかったため、アナログも長年経験されてきた方で、その当時の経験もきくと業界構造もわかって本当に面白い。
私とは時代も違えば、業界も違うため、世の中には自分が知らないことばかりだなと痛感するし、もっと自分が知らないことを知りたいなと思う。

そんな先生に、なんでこの業界に入ろうと思ったかという質問をした時の話。
就職したきっかけは新聞の求人だったそうだが、人手不足で即入社で来たらしく、入った初日から天国のように楽しかったとのこと。

それからは、その業界の職人としてスキルをあげて、自分で個人事業主をしている。
今も、酒もたばこも興味がなく、ゴルフもかけ事も興味がなく、自分の職が楽しくって、趣味の時間もずっとそれをしているらしい。

なんて幸運なんだ。めちゃくちゃ羨ましい。

技術進歩もウェルカムだし、それに応じて日々スキルアップをされている。
どんどん出てくるAIの進化もツールの機能アップデートもウェルカム。

技術が発展して、職がリプレイスされる危険性が強まったとしても、生成AIにできない人間だからできることを磨いて超えるだけという思考で、なんとも頼もしい。シンプルにかっこいい。

そもそもお金儲けのために入った業界ではないし、それ目的ならばとっくにやめてるという話で、どれだけAIで簡単に生成できるようになったとしても、その作業自体が自分にとっては楽しくて仕方ないから、こんな楽しいことをAIにはやらせたくない、ということも仰られていてめちゃくちゃ笑った。職人って素晴らしい。

あらためて、そんな生き方が羨ましいと思ったし、自分は今回の人生そこまで仕事に熱中することはないとは思うが、そんな趣味は見つけたいなと切に思う。

また、新しいことを勉強していると、楽しいけれども、本当に難しい。
まだまだ自分には足りないことばかりだ。苦手なことは出来ないし、ダメダメだなと謙虚な気持ちになる。

年々新しいことをイチから学ぶことが少なくなるため、こんな機会は貴重だし、新しいことを学ぶ経験はたくさんやりたい。

特に、専門家にお金を払って教えてもらうのがやはり習得には一番早いと思う。
独学では容量もわからないし、詰まったらもう先に進めない。

スキルだけではなく、先生に業界の話を聞いて知識としても新しいことを知るのも楽しいから、できれば人から教えてもらいたい。

その分自分でもたくさん練習しないといけないし、適性があわず興味がもてないものは全然上達しないこともある。
けれど、何かを新しく学ぶ時間は人生にとって有意義だ。

(かつて、サックスを一年ぐらい学んでいて、結局練習する時間もなくて、1年やったが全く上達しなかったが、先生から音楽業界の話を聞けたり、自分には全くサックスが向いてないこともわかったのでいい経験だった。ちなみに今はベースをいつか学びたいなと思ってるが、この経験からうまくいかなそうだと思ってる。)

ちなみに、とてもへたっぴなんだけど、イラストを最近書いている。
楽しい。Procreateという2,000円買い切りという最高のお絵描きアプリがあって、iPadで書いている。

楽しく書くこと優先で、あまり凝ることが出来ないので、20分ぐらいでひとつのイラストを描く。

インスタで見つけたかっこいい人物や、ChatGPTで構図とキャライメージだけ指定して生成してもらってざっくりトレースして、あとはオリジナルで書くみたいな感じ。

最初は毎日1個書くぞーって感じだったけど、初期は進まなかったが、最近はアプリの使い方も慣れてきたので、2日に1回ペースで書いてる。

ちなみに、ブログを更新できてなかったのも、先生に教えてもらっているツールの勉強や、イラストを描いてて、そっちが楽しくて、ブログをさぼってしまった。
けれども、文字は文字で、感じたことを文字にする重要性はここまでブログを書いてきて実感しているので続けたい。

【とりあえずポジションをとっておく】

わからないなりにポジションをとることが有用だという話。

何かの未来を予測する場合、なにがどういう風にいつどうなるか、を正確に当てることは難しい。

しかしながら、現状分析に伴う自分なりの仮説をもとにしたざっくりとした方向の予測はできるはずだ。

それはたとえば、株式投資であれば、いついつに価格がxxx円になってることが事前に分かることはないが、上がるか、下がるかの2択であれば、予測することは可能で、それに伴いどちらかのポジションを取ることは可能である。

そうなる可能性もあるし、ならない可能性もある。だから、リスクには気をつけないといけない、みたいな評論には特に意味はない。

とりあえずポジション取ってこう思う、という意見を持っておけば、時間が経って結果がでたときに、あの仮説のどこが間違っていたかという検証はできるので、思考プロセスの精度は上がる。

実利的な利益が想定されるが精度があがったとて、全て汎用的に適用できる思考プロセスはないため、思い込みバイアスが強まって損する可能性もある。
むしろ、精神的な面で、人生は短いからこそ、すべてを情報を調べたり、検証する時間はない中で、判断軸は自分なりの納得が重要であることは多々あるため、実利的な面以外にも思考プロセスは磨いておくに越したことはない。

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