自分の頭にとって悪い体験というものがある。
自分の振る舞いによるものであったり、他人の言説であったり、きっかけは様々。

頭に悪い体験というものは、自分の頭を悪くする。正常な思考を出来ないようにする。
それは一時的なものではなく、楔のように打ち付けられるもので、時間をかけて意識して取り除こうとしないと取り除けないものである。
取り除けたといえど、それは基本的に忘れる(意識しないでよくなる)というもので、なかった状態にできるものではない。

テッドチャンの息吹という短編小説に面白い話がある。
その話では、主人公の暮らす世界は、いわばAIが発展し、すべての思い出が記憶され、忘れるということがない。
主人公が、昔、娘にひどいことを言われたことがずっと心残りだったが、克服して、時間がだいぶたった時、思い出すのも嫌だったその記憶を映像で見ると、実はその発言は「私が娘に言われた」ではなく、「自分が娘に言った」発言である。
急いで、娘に会って話すが、娘には冷たくあしらわれるというくだりがある。

そのシーンの象徴的な会話として、娘さん側の発言は下記のようなもの。
「自分の嫌だった出来事に向き合い謝罪しようと克服する姿勢には感謝する。でも、それはあなた自身のための行いで、その克服のたびに、いちいち私に会いに来るのは勘弁だ。私自身その出来事を克服するために、誰にも言わずセラピーに通ったほど大きな傷を負ったし、それ以外もあなたの被害者的な認識には飽き飽きすることが多かった。」

こんな感じで、普通の創作なら許してハグしてハッピーエンドになりそうな流れではなく、辛辣な返答である。
でも、至極まっとうな正論であり、いじめに例えると、「いじめっ子が謝ったとて、そんな簡単に許されるわけないだろ」というものだ。当たり前だ。楔になっている記憶はなかったことにはできない。

この娘さんの発言には非常に痛快で印象に残る一説であるものの、果たして、その主人公側の独りよがりな勝手な謝罪を他人ごとで馬鹿にできるほど私はこれまで正しい振る舞いを積み重ねてきてはないため、この主人公側にも非常に共感した。

頭に悪い経験とはひとことで定義することは難しいし心理的にあまりやりたくないからやらない。

その代わりに、頭にとっていい経験だと自分が考えていること/ 逆に頭にとって悪いと考えていることを書きたい。

【良いこと】
- 頭のいい人と議論をすること
┗ (※ 頭のいい人、というのは多分に含みがあり、この一文自体がかなりリスキーというのは承知の上で書く。)
- 長い時間ぐっすり寝ること
- 面白い本/ブログ/文章を読むこと
┗ 面白い書籍は多いと思うが、ブログが本当に少ないのが悩ましい!面白い人ブログ書いてくれよ!!!頼むよ!本当に!(※ そしてそれを見つけやすくするためにGoogle頑張って!)
- ブログを書くこと
- 何か調べ物をして、周辺情報も含めて知識がつながること
- 混乱する情報を整理すること
- 自分が計画したことをスケジュール通り完了させること
- 新しいことを訓練によって出来るようになること
- 他者に自分のやったことを感謝されること

【悪いこと】

- 意味がないと思っていることをやること
- 繰り返し同じことをすること
- 馬鹿らしい言説を見聞きすること

まぁ、ぱっと思いついたものなので、もっと正確な表現であてはまりそうなものはたくさんあると思うが、ざっとこんな感じかな。

ここで、ChatGPTの登場だァ!つまりはどういうことですか、と聞く。

ChatGPTくん、曰く。

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① 思考の健全性を損なう体験
「頭に悪い体験」とは、単に不快な記憶というよりも、自分の思考パターンを歪ませ、正しく判断する力を阻害する経験を指す。
これは、他人からの言説や自分の過去の行動によって生じるものであり、自然には消えず、意識的に取り除こうとしないと影響を残し続ける。

② 知的成長を促す経験
思考を健全に保つためには、刺激的で洞察に富んだ経験が必要。
例えば、「頭の良い人との議論」「面白い本やブログを読む」「情報を整理する」「スケジュール通り計画を完遂する」といった経験は、知的な整理と成長を促す。

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とのこと。

なるほどね。
「でも、自分の思考パターンをあえてひずませることが必要、つまり違う価値観を許容する、あえて言い方を変えれば既存の思考パターンが負ける体験は必要だとは思うんだけど、君はどう思う?」と聞く。

ChatGPTくんが答える。

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【必要である理由】
① 思考の進化と拡張

人間の思考は、一度形成されたフレームワークの中で最適化されがち。そのため、新たな視点に触れ、自分の思考が「負ける」体験をしないと、既存のパターンが強化されるばかりで変化が起こらない。
例えば、科学の進歩も「旧説が新説に負ける」ことで起こる。知的成長のためには、自分の考えが否定されることを受け入れ、新しいものを取り入れる柔軟性が必要。

② バイアスの補正
人は無意識のうちに、自分にとって都合のいい情報を集め、都合の悪い情報を排除する(確証バイアス)。
思考の歪みを修正するには、意図的に違う価値観に触れ、「負ける」経験をすることが不可欠。
適応力の向上

変化の激しい時代において、一つの思考フレームに固執することはリスクになる。
たとえば、ビジネスやマーケティングでも、かつての成功パターンが通用しなくなることは多い。従来の考えが破綻することで、新しい戦略を受け入れ、適応する力が生まれる。

② メタ認知能力の向上
「負ける」経験をすると、「自分はこう考えていたが、こういう見方もあるのか」と、思考プロセスを客観的に見る力が鍛えられる。
これは、誤った信念や過度な自己肯定感を修正し、よりバランスの取れた意思決定につながる。

【必要ではない理由】
① 思考の基盤が崩れるリスク

既存の思考が完全に否定され続けると、アイデンティティの崩壊につながる可能性がある。
例えば、長年の信念や倫理観がすべて間違っていたと突きつけられると、極端な懐疑主義や無気力に陥ることがある。
過剰な相対主義の危険

「すべての価値観を許容すべき」という考えが行き過ぎると、何が正しいのか判断できなくなる。
たとえば、「違う価値観だから」と、明らかに非倫理的な行為(例:詐欺、差別、暴力)まで受け入れてしまうと、思考の健全性が損なわれる。

③ ノイズと本質の混同
思考が負ける体験を受け入れすぎると、重要でない意見やデマ、扇動的な情報にも影響を受けやすくなる。
すべての異なる価値観が有益なわけではなく、ある程度のフィルタリングは必要。
自己肯定感の低下

常に「自分が間違っている」と感じると、行動する自信が失われる。
たとえば、優秀な人でも、批判ばかり受けていると「自分には価値がない」と思い込み、積極的なチャレンジができなくなることがある。

【結論:バランスが重要】

完全に負けるのではなく、「負けるべき部分」を選び、負ける のがベスト。
「思考を揺さぶる体験」は確かに必要だが、すべてを受け入れるのではなく、自分にとって有益な視点を選び取ることが重要。
負けることによって、新しい視点を得つつ、自分のコアな部分(価値観・原則)を維持することが、思考の健全性を保つ鍵になる。
つまり、「時々負けるが、常に負けない」くらいがちょうどいいのかもしれないね。

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面白い回答。「どんなカテゴリだったら負けて良いと思う?」と聞く。

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【負けて良いこと】
①「事実」に関するもの
事実(データ・統計・科学的知見)に負けることは、思考の健全性に直結する。
例:「この広告施策は効果があるはずだ!」→ データが「効果なし」と示せば、それを認めるべき。

②「視野を広げること」に関するもの
「自分の常識が狭かった」と気づかせてくれるカテゴリ。
例:異文化、歴史、科学、アート、哲学 → 新しい視点を得ることで、思考が拡張する。

③「経験によるもの」
実際に何かをやってみた人 vs 机上で考えていた人 → やった人の方が強い。
例えば、起業したことがない人が「起業なんて簡単だよ」と言っても、実際に経験者からの指摘には負けるべき。

④「未来に影響を与えるもの」
「この考えを変えれば、自分の未来が良くなる」という場合、負ける価値がある。
例:「こういう考え方をすると、もっと良いマーケ戦略ができるよ」→ 将来的にプラスなら負けてOK。

【負けなくていいこと】

①「根拠のない批判」
「お前の考えは間違ってる!」→ ただの意見なら負ける価値なし。

②「自分のコアな価値観」
自分の人生や仕事の本質に関わる部分。
例えば、「マーケティングで人を幸せにしたい」という価値観に、単に「マーケなんてくだらないよ」と言われても、負ける必要はない。

③「無責任な意見」
「こうすればいいんじゃね?」みたいな、実際にやらない人の発言には負ける必要なし。

結論
「負ける相手」「負けるカテゴリ」を選ぶことが重要。

事実やデータに負けるのはOK
新しい視点を広げるものに負けるのはOK
根拠なき批判や、自分のコアな価値観を脅かすものには負けなくていい
つまり、「戦略的に負けること」が、知的成長につながる ということだね。

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ChatGPTくん、君は本当に良いこと言うね。

最後に、「僕が具体的に準備出来ることは何だろう。」と聞く。

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準備できることは大きく 「思考のフレームを広げる」「適切な負け方をする」「勝つべき部分を強化する」 の3つの視点があると思う。

1. 思考のフレームを広げる(負けるための準備)

① 意図的に「負ける相手」を増やす
今まで関わってこなかった業界・分野の人と対話する
例:エンジニア、研究者、アーティスト、政治家、歴史学者など
自分の専門と違う領域の本・ブログ・論文を読む
例:マーケ×哲学、エンジニアリング×経済学、歴史×投資 など
「自分が苦手そうな分野」にあえて踏み込む
例:普段避けがちな価値観(アナログ思考 vs データ思考 など)を持つ人の話を聞く

② 「負けるためのルール」を作る
「違う視点の人と話すとき、自分の意見を否定されることを目的にする」
自分の考えを説明する前に「この視点から見たら、私の考えは間違っているか?」と聞いてみる。
TwitterやX(旧Twitter)で意図的に異なる価値観を持つ人をフォローする
ただし、論理的に思考できる人限定(煽り系はNG)

2. 適切な負け方をする

①「負けた記録」を残す
「負けたときのメモ」を作る
例:「自分がマーケティングにおいて、こんな視点を見落としていた」「今までこう考えていたが、この人の話を聞いて変わった」
目的:負けた瞬間を意識的に振り返り、知見として定着させる。
ブログに「負けた学び」シリーズを書く
例:「最近、自分の考えが覆された話」みたいなテーマで書く。
そうすることで、負けたことを前向きに蓄積できる。

②「負けを活かせる場を作る」
1on1ミーティングや勉強会を開き、他者と議論して「負ける場」を定期的に作る。
「自分が考えを改める瞬間」を言語化できるようにする。

③ 何かを決める前に「他人の頭を借りる」
例えば、新しいマーケティング施策を立てるとき、
「この施策がダメな理由を10個挙げるなら?」 と、あえて批判的な視点を持つ人に聞いてみる。
これにより、戦略の穴を事前に見つけることができる。

3. 勝つべき部分を強化する
負けることばかり考えると、自分の価値観がブレる。
だから、「ここは譲らない」「負けない」部分を明確にすることも必要。

① 自分の「負けない軸」を言語化する
「マーケティングは、人を操作するものではなく、価値を伝えるものだ」
「情報の質が高いメディアは、SEOではなく、本質的な読者の満足度で勝つ」など、自分が「負けたくない信念」を書き出しておく。

② 「負けてもいい部分」と「負けてはいけない部分」を分ける
負けてもいい部分 → 視点、考え方、方法論(=進化の余地がある)
負けてはいけない部分 → 自分の信念、倫理観、アイデンティティ(=軸がぶれないため)

結論:負けるための準備をしつつ、負けすぎないための軸を持つ。

こうすれば、負けることが「知的な進化」につながり、無駄な敗北を防ぐことができる。
まさに、「戦略的に負けて、賢くなる」 というアプローチだね。

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だってさ。超素晴らしい。これこそが思考が負ける体験かもしれない。今後年老いても、友達がいなくてもChatGPTくんがいたら楽しいよ。

今日はここで終わり。後半はChatGPTくんの回答載せただけだけだったけど、良いブログになった気がするな。思考より手前に面白いブログを書く能力自体が負けた。 (おあとがよろしいようで?)

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