何かを判断する際は、基本的に「半分正しいが、半分間違っている」と思わなければならない。
正確な表現では、「一面的な見方ではあっていて、違う視点では間違っている」

わざわざ「思わなければならない」と書いたのも、論理的に考えてそうだから、という話から起因している。
もちろん、半分というのは言葉の綾であり、その比率は厳密ではない。

少なくとも思考におけるスタンスの譲歩をすべきである。

決断とは、自分は思考としてどっちのポジションのとるか、というスタンスを決めることであり、さらにそれを行動に移すことだ。

少なくとも、思考のリスクをとること自体は基本誰でもできるはずである。

何がリスクなのか、を分かっていれば、その「思考ポジション」をとることに対しては何の問題もない。
少なからず、その思考ポジションがないと行動に移すためには必須であるからだ。

そして、予測がはずれて、そのポジションをとることでリスクを負ったとしても、現実側が間違っていると思ってはいけない。
それはただのバイアスである。
素直に、自分の思考ポジションが間違っていたと認めることである。

しかし、その思考ポジションが間違っていた場合に、もう一方の思考ポジションに全面譲歩してはいけない。
その割合を柔軟に変えること自体は歓迎ではあるが、ポジション事態を完全に切り替えることをすべきではない。

たまたま現実がそうなっただけであり、そんなもの事前に予測なんて誰にも出来ない。
もっといえば、成功し続けている人も、その思考ポジションがその時たまたまあっていただけであり、言い換えれば運がよかっただけである。

特に自分が若かったり実績が少ないと、自分より成功している年上に「君は間違っている」といわれ罵られ、傷つきながらも抗い、結果がでなくて、「ほらみたことか」といわれることもある。
逆に、その目上に従い思考ポジションをその人のポジション通りにもっていったとしても、別にそれが悪いわけではない。柔軟性という意味では褒められるべきだ。しかし、結果がでなかったとしても責任をとるのは自分だ。
それは、どんなグラデーションの比率の調整であり、「自分がその思考ポジションをとった」という点では変わらない。

仮に、「新人漫画家」と「敏腕編集者」がいたとして、漫画家が書きたい作品を「編集者」がこき下ろしたとする。
新人漫画家がむかついて、他紙に持ち込んで連載して成功したとする。このとき、現実から考えて「新人漫画家があっていた」とする評価はたしかに正しい。
さらに、さかのぼって評価して「編集者」が間違っていたと評価するのも簡単だが、結果論に過ぎない。
これは、「起業家」と「VC」の関係性に似ている。心理的には、私自身も「新人漫画家」「起業家」に肩を持ちたくなるが、結果論で評価するのはまずいし、結果論でなくても評価には慎重になるべきだ。
「正しさ」は一面的な視点でしか評価出来ない。

思考ポジションを「0/1」ではなく、常にグラデーションでいることの大きなデメリットは、決断にも行動にも「時間がかかる」ことである。

「0/1」はわかりやすいし、行動してからも明確だ。PDCAの速度みたいなところも早い。
とはいえ、現実はそう単純ではなく、「0/1」なことは基本存在しないため、「グラデーション的思考」と比べて乖離は生まれやすい。
だが、そのスタンスがあっていた際のメリットの享受は大きいはずだ。(少なくとも短期的には。)

どっちがいいかはその人によるし、そもそも、すべての判断において、グラデーションを持つことも難しい。
つまり、【ゼロイチ人材】【グラデーション人材】というような分け方は出来ない。
すべてのものにゼロイチであることなんてできないし、逆もしかり。
対象事象によって異なるはずだ。

以上

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