友人からふとライトな質問がきた。
質問は、「気づきを文面化する習慣は意識しているが、必要な情報って引き出せているか?」というもの。
懸念は、「iPhoneのメモに残してるだけでそれらが積み上がっていない感覚がある」らしい。
よくある悩みではないだろうか。ブログのトピックとして良さそうな内容だったので書いてみる。
回答としては下記のようなもの。
そもそも前提として、私は「記憶力がいいほう」であると思う。
受験勉強/資格試験テスト的なものは人よりも特訓しないと無理で、それらは要領が良いタイプではない。
だが、会話を忘れなかったり、かなり昔のことでも鮮明に覚えるような性質がある。
要因として、昔から悩み抱え込むタイプだから、頭のなかで回想する回数が多いため記憶にすりこまれることが多いこと。
そして、よく他人に最近あったことを話したり、相談したりするから、それも記憶の定着にプラス。
まずここまでは個人としての「記憶力」の差分であり、後者はともかく前者は一長一短でどうこうできる問題はない。
それに対して、まず質問を受け取った際に、思ったのは記憶に対する捉え方である。
言い換えれば、「知識習得に対する考え方」が私とは少し違うように感じた。
まず、「Aという知識を習得したからといって、すぐにAを出せるようにしよう」っていうのは受験的な発想でありそう。
また「Aという知識を忘れないために誰かにAという知識を話そう」というのも受験的発想。
一般的に、学習した時点で、それをどう活かすかを考えるのは非効率だ。
もちろん、手札から考えると目的の具体性は高まるメリットはある。
知識があることで、何に使えるかが具体的に想像しやすくなる。
しかしながら、同時に目的の広さも狭まるはず。
自然なのは、目的をもとに知識を習得(学習)すること。
目的がない学習するならば、積みあがる実感がなくて当然であるとは思う。
ただ、強調したいのは、目的から学習が自然だけど、学習自体は否定されるべきものではない。
繰り返し、目的の具体性がイメージできるようになるからだ。
常にトレードオフである。
個人的には、目的からToDo逆算して日々実行するようなリーン的手法は理想的だと思うが、寄りすぎるのは危険。
常に学習と結びつけると退屈だ。はっきり言って疲れる。そんな日々が続くと、目標達成/目標未達の一喜一憂で鬱気分になる。
ここまでの内容をもとに、次の質問がきた。
「シンプルなアイデアとか、判断軸などはどうまとめていますか?」というもの。
思考整理ツールとしては、スプシでもメモ帳でもなんでもいい。
そもそも一度決まった判断軸が永続的になることはないと捉えている。
だから、判断軸をまとめたり、思考を文面で整理することは大切だが、それにとらわれすぎるとバイアスになるリスクも存在する。繰り返し、トレードオフ。
「そのときの自分」を納得させるために、文面化して思考を整理するもので、それ以上の効果はあまり期待しないほうがいい。
もっといえば、わざわざ文面化すること自体はやや工数がかかるものであるに違いないので、「そのときの自分を納得すること」にその分の価値があるといえる。
この質問に回答してるなかで判断軸なんてものは、つきつめると「幸せかどうか(将来幸せになれるか)」しか判断軸はないはず。
それ以外のものは、具体性を上げた(抽象度を下げた)もので、カバーされていない範囲はどうしても出てくる。
最後に、知識を習得したり、学習したりすることよりも、その知識をもとにして仮説や思考を他人にぶつけて考えたりする機会は貴重だし、楽しいものだ。
その試行は、学習それ自体よりも何倍も価値があるもの。
事実、友人から質問をもらって自分なりの意見を回答したり、意見をもらったりすることもとても楽しい。
Tweet© 2025 ZUUHE