今日は2つの雑記
【大阪万博】
大阪万博に行ってきた。
結論としてはとてもよかった。各パビリオンの建物も美しい(個人的には中国のパビリオンが格好良すぎて感動した)し、円形リング状の木造の建造物もアイデアとして素晴らしいと思った。
万博終わったら、取り壊しになるのはもったいないなと感じるものばかりだった。
トイレも整備されていて、清潔だし、そこまでトイレ渋滞も起きていなくて、素晴らしいかった。
ただ、あまりにも初見殺しというか、各メディアで書かれているようなオペレーションの不備みたいなものは多々見られた。
また、各所で指摘されているような抽選予約のUIはたしかにひどく、来場予定日は平日の昼でその2週間前に予約して、2週間前か、3日前から当日か、いろいろ抽選予約したが、どれも外れて、パビリオンは何の予約も取れなかった。
ブロガーのよっぴーさんが書いている記事に詳しいので、それを読むといい。
文をそのまま引用すると、「なるべく早めにチケットを買い、2か月前予約、7日前予約、3日前予約全ての事前予約に参加し、当日は開場前からゲートに並び、9時の入場と同時にスマホと会場端末を駆使して当日枠を抑えまくる」が最適解とのこと。
ディズニーガチ勢みたいなハック的要素が不可欠で、あれはどう考えても私のようななんとなく行こうと思った人には十分には楽しめない。
予約しなくても当日並んで入れるのだが、わけわからないぐらいの猛暑が続いているので、そのさなかで待てるかといったら私は当たり前にNoだった。ストレスがかかりすぎるし、体調が持たない。
休憩所も全然椅子が足りていないし、直射日光がガンガンあたっている誰も座れない何のためにあるんだというベンチもあった。
日焼け止めをしっかり塗って、日傘と冷却タオル巻いていったが、それがなかったら5倍ぐらい疲れていたと思うので、暑すぎる。
私自身、パビリオン入れなくていいから、雰囲気感じれればいいなという期待値で言ったので満足だったが、それよりも期待値が高ければきついだろう。
仮に、私が東京在住だった場合に、わざわざ万博のために来たとしたら、結構がっかりしていたかもしれない。
でもまぁ、非難轟々で、揶揄されながらよくここまでやったなぁと本当に感服するし、地元の大阪なので思い入れもあるため、感謝の気持ちは大きい。
開催地の大阪の夢洲は、次はIRとして開発される(2030年開業予定)とのことで、財政にも大きな後押しになるだろうから、頑張ってほしいな。
【座標を確認する】
前回書いたように、最近ブログを書く内容が浮かばないようになってきた。
ブログを書く内容だけではなく、新しい思考みたいなものが生まれづらくなってきている。
そのなかでも、思考が生まれやすい時間があるとすれば、やはり読書をしているときだ。
私の場合は、特に小説を読んでいるときに生まれやすい。
お風呂上がりの寝る前に読むことが多いので、脳がリラックスしているのは多いと思うし、物語のなかで登場人物の人生を追体験することで思い出とリンクしたり、なんらかの感情が喚起された結果かもしれない。
しかしまた、結局こういう良い体験をすると、こういう風な良い気持ちになるためにはどうすればいいのか、という再現性について考えてしまう。
回答はもちろん、さっさと小説を読めばいい、になるわけだが、気合だけでなんとかなるなら、そもそも思考に至らないわけで。
いずれにせよ、小説を読む時間は非常に大事だ。でも、スマホを触っていたり、仕事のことを考えていると、小説を読む気分にならない。
そもそも今の時代小説を読める人というのはかなり貴重だと思うな。言ってしまえば、コスパが悪すぎるアクティビティなのかもしれない。
たしかに、全然面白くない本にあたったときは、かなりきついしね。
「成瀬は天下を取りにいく」という小説がとても話題にされていて、買ってみた。でも、読んでみたら出だしからまったく面白くなくて、なんかショート動画が小説になっちゃったのかとなりそうな内容だった。
読み進めるのも苦痛だったので読まなかった。小説もどんどんコスパのいいものが求められるんだろうね。
さて、ちょっと話がそれたような気がする。
そうだ。あ、ちょうどこの文章を書いているときに最近浮かんだ、座標を確認するという感覚について書きたかった。
自分の頭の注意が散漫になってきたなと思ったときに、一度目を閉じて、「自分の今の座標ってどこだっけ?」って問うようにしてみた。
※ もともとの意味がどうとかかはおいておく(ベクトルを"方向"という意味合いで使ったら理系大学生がキレるみたいなやつ)
イメージとしては、いま自分はどこにいて、どういうことをしたい状態なんだっけ?と考える。
物理的な「どこ」という話もそうかもしれないが、しばらくはどういうことに時間を使いたいと思っていたか、自分は最近どんな悩みがあってどうなりたいか、昔の自分はどうで今はどうか、みたいなことを考える。
そうすると、どんどん思考が集約されていく感覚があり、集中力的なものが取り戻される感覚がある。
以上
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