スマホデトックスの一つのコツとして、スマホを見ているとき (特に集中をそがれやすいSNSをみるとき) に意識的に「気持ちいい」と感じるようにするほうがいいのではないかと仮説を立てた。
つまり、報酬系を刺激されていることを意識することが重要だ。
あ、スマホをみちゃっているな、と半ば罪悪感を抱えたとしても、すぐにやめるのは難しい。
なぜなら報酬系が活性化され、ドーパミンが放出されている状態では、脳が「もっと続けたい」と強く欲求してしまうからだ。
であれば、逆に、「気持ちがいい」と意識的に思うことで、罪悪感を抱えながら見ることよりもはやく離脱できる。
なぜなら「気持ちいい」と自覚することで、報酬のメカニズムを客観視でき、自動的な欲求ループから一歩抜け出して「もう十分だ」と判断しやすくなるからだ。
おもしろい現象であると思った。
これはほかの例もあげると、食べ過ぎを防ぐために「この味、めっちゃうまい」と味わいながら食べるという話にもなるし、ギャンブル依存の予防として「この興奮、心地いいな」と自覚的に楽しむという話にもなる。
なぜこういうことを考え出したかについて、この例はスマホデトックスをもとに考えたことだ。
最近、この 素直に "自覚する"・"意識することのインパクト"について考えることが多くなった。
ここ数週間、イライラしたり、思考がうまく働いていないときに、それを自覚して、原因を考えて、脳処理系を学習させるトレーニングをしている。
これまでも有用だと思っていたがなかなか続かなかったが、ToDoリストとして明記して毎日やることにしている。
あまり気が進まないながらも、意識レベルで取り組んでみたり、毎日紙に書いたりしてみた。
(※ ちなみにこの取り組みについて、生成AIに壁打ちしてみると、「1日1回は脳バグ報告書を書く」 ことを勧められた。すばらしいワードセンス。バグととらえるのが素晴らしいし、より「手続き」感があって、取り組みやすそうだ。とりあえず頭にあるもやもやを書く「モーニングノート」的なやり方をこれまで取り組んでいたが、個人的にはこっちの手続きじみたほうが好きかもしれない。)
この取り組みの難儀なところは、表面上この取り組みは有用でありそうで思えるが、実際に取り組んでみるとなかなか難しく、短期的にも効果を見出しづらいばかりか、毎日取り組んでいても、取り組む前と改善効果を実感することが難しい。 (最近育児と仕事で慢性的に疲れているので、毎日どころか1時間に1回ぐらい発生して、取り組むことすら忘れるときは除いて、なんとか断続的に続いている。)
でも断続的にでも取り組むことが続いている限り有益であって、効果を感じなくとも「自覚できた!」だけで有益だ と 自分に言い聞かせる 手前の部分を評価することがいいのだろう。
したがって、"意識した結果得られる効果" に着目するわけではなく、"意識すること自体が有益だと評価する意識のインパクト"という 頭がこんがらがりそうで、もはや論理破綻してそうなことを考える。
(論理破綻はしているが、私の意識的には 腹落ちしている感覚 がある。ただ、論理破綻を 意識的に保管 しようとすると、いつも こんがらがってくる ので、こうして 文章に落とし込んで「バグを可視化」 している。)
いわば、メタ認知の無限階段といえる。
ここからは生成AIに壁打ちしながら書く。
そして、メタ認知の無限階段は「報酬系」として機能しうるのかもしれない。
簡単に言葉で表すならば、その違いは
・スマホは 「飢餓感を埋める」 → もっと欲しくなる
・メタ認知は 「飢餓感を内製する」 → 外が要らなくなる
スマホの場合、トリガーは外部であり、短期的である。メタ認知の場合は、その逆。つまり、先ほど書いた「自覚する・意識すること」はトリガーで内部であることがポイントである。
報酬系として成立すると仮定すれば、感情制御・意思決定によさそうで、一見いいことがありそう (スマホが理想的な形でリプレイスされる) ような感覚になってしまう。
でも、高次認知は脳のバッテリーを食ってしまうため、いずれにせよ疲労してしまうという本末転倒な結果になる恐れもあるし、突き詰めて考えつづけることは出来ず、思考停止的になってしまう。
(理論的には、 ドーパミンが放出されるが、思考のエネルギーの源であるノルアドレナリンが枯渇し、GABAという抑制性の神経伝達物質がでて、思考が停止するとのこと)
とはいえ、「メタ認知もそこそこにしよう」というつまらない結論にはしたくない。
むしろ、やりすぎて吸い込まれ、思考をゼロにすることに意義がありそうである。
つまりは、スマホを見てしまうのは、エネルギーを持て余しているからであり、それを手っ取り早く埋める対象がSNSなどになりえる。
その一連の運動をリプレイスして、エネルギーをそっちで使い切ってしまうことを目的化してもいいかもしれない。
感じ方の違いとしては、「もう見ても楽しくない」という疲れ方か、「もう考えられない」という疲れ方か。
調べた限りでは、実感できるかどうかはともかく、結果的に無意識のレベルでの思考回路が変わるらしいので、自分がなりたい思考状態 (ex: いやな思考の癖を消したい) があるならば、メタ認知のほうで疲れさせたほうがいいだろうということになる。
思考していたら疲れました。Youtubeみてきます。以上です。
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