才能についてのあれこれ

最近、複数の新しいことを学んでいる。
新しいことを学ぶと、どうしてもセンスや才能という言葉が持つニュアンスについて考えることが多くなり、今回考えたことをブログにしてみた。

才能という言葉には、どこか神秘的な響きがある。
空から光の粒が降りてくるような。
自分の才能に気づく瞬間とは、そんな奇跡の瞬間として語られがちだ。
しかも、その多くは先天的なものだという暗黙の前提がある。

私が自分の才能に気づいた瞬間というものがあっただろうかと問われると一切ない。
そんな私でも、何かを学び続けていると「小さな本質をつかめた瞬間」がある。
それをもとに何も知らないその道の素人に見せれば、驚かれることもあるだろうと思う。
これは才能だろうか?
先ほどの神秘的なストーリーに照らせば、答えはNoだ。

でも、過程が見えないから、結果だけが魔法のように映る。
私たちは自分が詳しくない分野における他人の成長を、過剰に評価したくなる傾向があるといっていいだろう。
才能とは相対的なものである。
小学校のクラスで工作をしたとき、特に経験がなくてもカッコいい作品を作れる子がいて、私は作れない側だった。

才能は、他者の評価があって初めて表出する。
価格が市場の需給によって決まるように、才能もまた、他人の反応や評価があって初めて形をとる。
どれほど素晴らしい能力を持っていても、表出しなければ存在しないのと同じだ。
これが才能の難しいポイントでもある。
私たちは才能を「発見されるべき何か」として捉えがちだ。
どこかに埋まっている宝石を掘り当てるようなイメージ。
しかし実際には、才能とは構築し、パッケージ化し、適切な市場に届けるものだ。
そして継続的に価格発見をするものだ。宝探しではなく、商品開発に近い。
これがかなり一般的なニュアンスと乖離しているのではなかろうか。

商品開発のように仕組み化できるものだと仮説を立てれば、才能を人生に役立てるために、なんらかの手順が存在していると考えるのが自然だ。
ここでは、3つのステップがあると考えてみた。
①自分の才能に気づく
②自分の才能を誰かに気づかせる
③それで食っていけるレベルまで換金する
特に珍しい分解結果ではないだろう。
ここで重要な洞察がある。
①と②の間には決定的な隔たりがある。
①は単なる自己評価に過ぎない。
一方、②は市場からのフィードバックだ。②が達成できていれば、①のプロセスは不要になる。
評価されたこと、それ自体が「才能」の証明になるからだ。

だが、それに対して直感的に否定したくなるのは下記のような「問い」があるからだ。
『「やったことを評価してもらう」のか、「評価されることをやる」のか。』
前者は美しい。好きなことをやったら成功した、という理想のストーリーだ。
しかし残念ながら、それは生存者バイアスによる幻想であることが多い。
後者のほうが無駄がなく効率的だ。キャリア戦略の基本も後者にある。
もちろん、二者択一ではなくブレンドだ。でも比率を意識することは重要だろう。

いずれにせよ、「やったことを評価してもらいたい」のであれば、商品開発のようにABテスト的なアプローチが有効だ。
例として挙げると下記のようなものだ。
10種類のことをやってみる
どれに対して他人が反応するか観察する
反応があったものに時間を投資する
さらに細かくテストを繰り返す
時間とカネの制約はあるが、確率は確実に上がる。
才能の発見とは、無数の小さな試行と、そのフィードバックを冷静に観察する地道なプロセスなのだ。
そして「気づかせる」ことの難しさがある。
情報のノイズの中で、正しい場所、正しい人、正しいタイミングに届ける必要がある。
結局のところ、「やったことを評価してもらう」にしても、「評価されることをやる」のと似たプロセスを踏まなければならない。

話はそれるが、こんなことを2週間ほど考えている折に、ある夢を見た。
夢の中で、誰かがこう言っていた。
「才能には、相互依存性がある。」
その後のロジックは覚えていない。でもフレーズとして面白かったので、起きてから書き留めておいた。そして後から解釈を試みた。
あるソフトウェアが動作するには、別のソフトウェアの特定のバージョンが必要になるという趣旨であれば、ある才能Aを発揮するには、才能Bの特定の「バージョン」が必要になる。
たとえば、優れたUIデザインの才能は、ある程度のプログラミング理解があると活きる。技術的な制約を理解した上でデザインできるからだ。しかし、プログラミングの知識が深すぎると、逆に技術的制約に縛られてデザインの自由度が死ぬみたいな話かな。

もとい、才能そのものの話に戻って、再度まとめる。
天から降ってくるしずくを待っていても、何も起きない。
才能とは、構築し、パッケージ化し、適切な市場に届け、そして継続的に価格発見をするものだ。
しかも、それは単独では動作しない。他の才能との依存関係を管理し、時にはあえてバージョンを固定し、時には循環を断ち切る必要がある。
才能とは、終わりのないパッケージ管理のように。依存関係を理解し、環境を整え、継続的にデプロイし続けるようなものかもしれない。

以上。

P.S.

今回は、退屈なビジネス本のように才能を生かすノウハウみたいな記事になってしまったのが個人的にはあまり満足していない点である。

実は、前半のノウハウっぽい話を書いた後に、まとまりがないなぁと思っていたところに、先に書いたように才能に関する夢を見て、それについてまとめて文章を書いたのだが、うまくまとまらなかった。

前半も後半も中途半端な感じになったが、今年最後にブログの下書きがある状態は避けなかったので公開することにする。

では来年もよろしくお願いいたします。

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