雑誌のすごさ、最近読んだビジネス本など

雑誌のすごさ

趣味でコレクションしているものがある。
その中で、とある気になった作品があったのだが、20年以上前の古い作品だったため、カルチャー的な背景を知ろうとググったりYoutubeで探してみたが、浅い情報しか出てこないことがあった。

ただ20年ぐらい前にそれを特集していた雑誌があったため、Amazonで中古で販売されてたものを1,000円程度で買った。

結論、その情報量はとても満足いくものだったし、その取材力に驚かされた。

とはいえ、私自身、雑誌を買い続けるかと言ったらNoだし、動画のほうがわかりやすいし簡単にアクセスできる便利さの点でそちらを進んでみるだろう。

それでも、プロが時間かけて取材し情報精査がされたコンテンツには、愛がこもった情報のかたまりは読んでいてワクワクする。媒体が変わっても、そのようなキュレーションコンテンツは一定の需要があることは今後も変わらないだろう。

最後に、雑誌を購読していたのは、POPEYEで大学生ぐらいまでだったと思う。dマガジンで月300円程度でほかの雑誌も読み放題になったことに気づいて、買わなくなったし、dマガジンですらいつの間にか読まなくなっていた。そもそもファッションに興味がなくなったというのもある。

近年、情報量自体が増えてきて、カテゴリもどんどん細分化されていく。
消費者の認知チャネルを奪い合っている。
消費者も情報に疲れ切っているから、1つ1つをいちいち掘り下げる需要が少なくなっている。

「こんなおもしろいYoutubeチャンネルあったのか!」と幸運な発見があったとしてもその1週間後にはもう別のチャンネルに感動して、ひとつ前のチャンネルについて感動したことなんて忘れている。

発信側も、限定的なターゲットに深く理解してもらうために発信内容を濃くしたとしても。見てもらえない。認知負荷が高すぎて、大多数の人間には興味すらもたれない。そのため、発信者側も発信コストにたいして採算が合わなくなってくる。

(アイドル等の推し活やソシャゲのような少数のファンダムでも、とんでもない量の課金を喚起できるようなレバレッジが聞くタイプのものは例外的。この推し活の熱狂にまつわるトピックに関して、朝井リョウの新刊「イン・ザ・メガチャーチ」という小説がおもしろかったのでおすすめ。ストーリーという熱狂にのめり込む事への1つの視点を得られる。)

認知してもらっても深く刺すことは難しい(採算が合わない)から、好きなってもらうための努力いうよりも、忘れられないための努力というニュアンスが近い。

SNS等のアルゴリズムも、ユーザーの趣向に合わせて、頻度高く、すぐわかる発信を優遇するため発信者側もそれにあわせていかざるを得なくなる。

その競争状態から、その発信コンテンツの制作工数は人間がやっていてはコストパフォーマンスが悪く、生成AIによって作らないと採算が合わなくなる。採算以前に、完成度も生成AIのほうが高くなる。多数のアーティストやエンジニアなどをかかえる制作プロダクションで、彼ら・彼女らをレイオフする流れも止まらないだろう。

結局、雑誌のような深くカルチャーやストーリーをつたえる文化はどんどん求められなくなってくるし、ビジネスとしても採算があわなくなっていく。

つい数年前までは、コロナも相まってグローバルボーダレス化され、あらゆるコスト格差を地理的なアービトラージを利用することでなんとか利潤を確保していた(ex: オフショア開発など)が、それすらも通用しなくなった。AIオペレーターとしての人員も少なからず必要だからゼロになることはないと思うが、インパクトは極めて小さい。

最近ずっと、同じようなこと書いている気がするな。終わり。

最近読んだビジネス本

ひさびさにいくつかビジネス本を読んだ。

藤田晋(サイバーエージェント創業者)「勝負眼」
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)「運」
前澤友作(ZOZO創業者)「偽善者」

ビジネス本を読むと、彼らが経験した得た学びみたいなものを追体験するというよりも、その出来事自体を野次馬根性的に読んで楽しい気分になる。
やはり大きな事業を作り上げた人たちの成功話・苦労話はエンタメとしてそれ自体が楽しい。週刊文春の芸能人の不倫騒動をみて騒いでいる人と同じ脳内物質が出ているんじゃないかな。

冗談はさておき、最近わりと同じことで悩み続けていることが多くてやや精神的に疲れていたので、これらの書籍を通して、大成功者たちの視座をほんの少し分けてもらえたような気がして、目の前の問題を俯瞰できた気がする。

私が尊敬する経営者の方と定期的に食事に行ったときも同じ感覚になる。だいたいは叱咤激励を受ける立場なのだが、スケールの大きい話を聞いているうちに自分が思い悩んでいる課題がちっぽけなものに思えて気持ちが軽くなることがある。

とはいえ、現実は手厳しくて夜寝て朝起きたら、その問題はそのまま存在感があるので、また頭を悩ませているうちにその感覚はリセットされざるを得ないのだが。

この中で一番面白かったのは、前澤友作「偽善者」。学びというよりも、先ほどの成功者の世界をのぞき見的な野次馬根性視点だと最適。

彼の誕生日会のサプライズ企画として、彼の側近・親しい知人・元部下などあらゆる方にそれぞれの前澤友作像をインタビューした内容であり、いわゆるもともと内輪ノリの企画を対外的にも公開しようと書籍化に至ったものである。

前澤友作氏は言わずと知れた大成功者であり、それを囲む親しい知人たちによるインタビューなので、「(いい意味でも悪い意味でも) ワガママだが天才的なセンスを持つ前澤さんと、それに振り回されちゃって大変や俺( or 私) 」というノリである。

もともと、内輪ノリ企画なので何もおかしいことはないが、読み方によっては「一体何を読まされているんだコレは..」という気分に何度かなるが、先の藤田氏の書籍と同様に、彼の体験している世界が強烈すぎて、読んでいて面白い。

彼ほど資産を持ったとしても、宇宙行ったり、アート買ったり、レーシングチーム使ったり、その他さまざまなアクティビティに金を使える人間が他にいるかと思うとおそらくいないだろう。
好奇心も体力もそうだし、資産だけではなく、それらを実現するために資産管理会社でさまざまな優秀な人材を雇って、誰もやったことがない無理難題を押し付けてもついてきてくれる人望がないと無理だ。

そういうアクティビティに時間使いながら、また同時並行でカブアンド(正直あまり中身は知らない) を上場まで持って行こうとしている。

孫正義氏は完全に投資会社的ムーブになっている方向性もすさまじいけれども、前澤氏のようなクリエイティブ特化投資会社(投資会社というほど売却目的のポートフォリオよりも本人の興味関心の比重が多そうだが) に加えて、さらに事業会社をつくるのは、考えるだけで気が遠くなるが、周りの側近の方も刺激的だろうなと感じる。オリジナリティでいえば、世界でも指折りなレベルに感じた。(※ とはいえ、実態はキラキラしておらず、地味でストレスフルなものだと推測するので、私には真似できない)

この先の世界

世間の注目・憧れの対象がどう変わっているだろうと考えた。

芸能人やスポーツ選手がスターだった。
その次に、IT起業家みたいな人が注目されるようになった
その次に、Youtuber筆頭にインフルエンサー。
その次に、SNS政治家 (石丸氏・玉木氏・神谷氏などSNSにマッチした政治家。)
という世間の注目ポイントが変遷してきたような気がする。

政治が注目されているのは、SNSというプラットフォームとマッチしたという側面も多いと思うが、どんどん日本が貧乏になってきて、人口も閉塞感に対して不安が増大して、一種のリセット欲というか極端にいうとカオス願望みたいなものが強くなってきたのだろう。

さて、この次はどうなるだろうか。

仮に先の流れが正しいとすると、この政治に対する期待はおそらく達成されないというか、期待しているほど見返りはないはずだと予測する。それは政治家の能力云々というよりも、どんな国だろうがそんなドラスティックに変革されることはないと思う。

要はその文字通り世の中がどんどん変わっていくことが実感できるほどの実行力というのは独裁者じゃない限り持ちえないだろう。

だからこそ、この次は、サムアルトマンやイーロンマスクのようなAIバブルによる天文学的な資産を持つようになるAI起業家というか、もはや哲学者といえるような金も権力も技術力も持ち合わせる人間が、私財をなげうって、人智を超えた開発 (ex: 万能薬を作ったり、核融合発電をつくったり) がなされて、ベンチャー企業の常套句の世界を変えるサービスという表面的なレベルではなく、本当の意味での世界を変える発明がされることなんじゃないか。
そして、それが可能になれば、国家はいよいよ必要がなく、その彼らのような人間が個人レベルで理想郷を作り上げて、実行面はすべて技術によって制御される世界が作られるのではないかと思った。

非現実な飛躍している話に思えるが、考えるだけで楽しいトピックだ。

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