先日、とあるポストを見た。
「年をとって、若い人とお話しするときに、相手をおだてたり、相手のアドバイスなどに必要に応じてオーバーリアクションで感激してあげるなどすることが増えた」というポストだった。
偽りを演じているようでとても気疲れするというニュアンスも含んでいたが、私は逆にこの「若い人」側の立場として非常に身に覚えがあり、身につまされた思いだった。
恥を恐れずに言えば、(特に仕事において) これまでたくさんの「大人」たちにおだてていただき、たくさん勉強させてもらった立場だったということを振り返って、非常に感謝した。
独立する年齢が早かったこともあり、これまで年が離れた方々と対峙することが多かった。
私はベンダー側、つまり支援する側であり、偉そうにもアドバイスする側の立場であった。
だからこそ、そこらの若者とは違う自分の力を見せてやるんや!と片意地を張っていた。(なんと驚くなかれ、過去形で書いたが、実は現在進行形でも”片意地を張っている”のだ!)
文字どおり意地が悪く、のっけから相手にしてくれない人がほとんどだったが、明らかに底が浅いガキに対して、我慢強く付き合ってくれる方々もたくさんいたことは振り返ると救いだった。
どう考えても力不足なのは明らかだったにもかかわらず、若輩者に対して、時にはおだててくれたり、私のコメントに感心した様子を見せてくれたりした。
当時の私は、「よし!私が優秀だったからだ!」と思っていたが、経験を積めば積むほど当時の自分の浅さを思い起こし、もう顔から火が出そうになる。
独立した当時から、どんなときでも結果が出ないときは自分の責任だと割り切ってはいたつもりだが、それでも結果が出なかったときに突き放さず、一緒に悩んでくれた相手方がいたからこそ、私も貴重な経験ができたのだと思う。
幸運にもいまも細々と独立した立場で生きていられるのは、「すべてフェアに評価されて、私がパフォーマンスを出し続けたから」とは一切思えない。
いろんな幸運が重なったからで、そのなかには間違いなく、「おだててくれた人たち」がいて、たびたび自分に励みを与えてくれたからだと言える。
先日、今よりも実力のなかった当時の恥ずかしい自分を思い出しながら、過去に取引があった一社の製品を買ったときに、あらためてその感謝の念を覚えた。
万が一、顧客名簿などを見て、「あ、あのインチキ野郎が商品買ってる!まだ生きてたのか!」と気づかれたら、それはそれで気まずいなと思いつつ、当時の自分への “戒め” として考えるならば、そんな気まずさなんて安いものである。
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