失敗についての捉え方について。

失敗にもよるが、年々失敗しても大したものとしてとらえなくなってくる。
失敗を許容する器みたいなものがあるとすると、それが大きくなったわけだ。

でも、いま昔の失敗してショックを受けたことを思い出すと、ストレス耐性が強くなったというわけではなさそう。

たしかに失敗に対する解釈の幅が広がっただけで、ストレス耐性自体は誤差程度ととらえたほうが私の場合はしっくりくる。
つまり、失敗に対する感度は変わらない。一方で、失敗に対する感度は、過去と現在を比べたときのストレス耐性というよりも、その日/その時期の体調によって大きく変わると考える。

言葉で表現するならば、下記のようなイメージだ。

ある「1」というチャレンジに対して、自分が投下する物理的・精神的なエネルギーが昔は「1」であったのに対し、今は「0.5」ぐらいで済むようなイメージだ。

それに対する失敗した場合のマイナスの見返りは、失敗の大きさにもよるが、仮に同じ「1」であった場合投下したエネルギーに対する見返りとなるので、昔は「1」に対しての「1」なので「1/1」。今は、「0.5/1」なので、ちょうど1/2になるわけである。

「失敗影響度」という指標があるとして、ここまでの話を簡易的にモデル化すると下記になる。

【失敗影響度(I) = [投下エネルギー(E) × ストレス感度(S)] / 失敗のマイナス値(N)】

つまりは、失敗影響度を限りなく少なくなるためには、
・投下エネルギーを低く保てているか
・失敗のマイナス値が少なくなるように動けたか
・ストレス感度を低く保てているか

という話であり、そのための変数はそれぞれ

(E)【能力】投下エネルギーを低く保てているか
(S)【体調】ストレス感度を低く保ててる体の状態か
(N)【行動】失敗のマイナス値が少なくなるように行動できたか

という話である。

【能力をあげて、リスクを低減しながら行動し、体調を整える】ことができれば、失敗の影響度が減るだろうという仮説。

外的要因によって変わるかもしれないが、具体的な中身であるコントロール要因は下記である。
(E)【能力】学習・外注化・収益向上による損失許容度
(S)【体調】睡眠・食事・運動という習慣
(N)【行動】プロジェクト設計・施策の打ち手の質・施策量

ここまでが一区切り。

ここまでは、いかに【失敗影響度を下げるか】という論点である。

次に、【失敗による成長】という論点である。

まず、「失敗が文字通りただの損失か」に関して、これは【半分YES/半分No】だと思う。

過去に私も 「失敗は成功の元ではない」というブログを書いた。(実に5年前!5年もたったのかという驚き。)

タイトル通り、失敗に価値を見出しすぎるな、準備次第で防げただろう!という話である。
今でもその考えは変わっていない。

しかしながら、現実的に失敗は避けられない。
失敗が避けられない中で、「自分が持つエネルギーを過去のように何かのチェレンジに目いっぱい張れているか」という自己検証は成長という視点から見ると必要だ。

わかりやすくいうと、昔は、なにかチャレンジする際に自分が持つ目いっぱいのエネルギーを投下した。
それで失敗をすると、大きなマイナスの見返りがあった。

過去にあった知識や時間などを考えてももっと準備できたはずだという視点ももちろんあるが、かといって過ぎたことは仕方なし。

グラフがあったときに、大きな下降ポイントであるが、その分再起してチャレンジしつづけると、また回復する。(その回復の経験が成長である。)

失敗したとて、別に能力自体が下がっているわけではないのが、時間や自信やカネなどは失う。
失敗を経て成長したときに、その「失敗を踏まえたもともとなかった思考の柔軟さ (しなやかさ)」が身につく。

それらは、(E)【能力】(N)【行動】の量/質があがる。2度同じような失敗をしずらくなる。
戦略を立てる際に、失敗によって得た新しい分岐が出来るため、【更新版勝ちパターン】が出来る。
成功し続けることは現実的に難しい中で、チャレンジして失敗して成長する一連の流れで学習するしかない。

であるならば、失敗によってたくさんのことを失うものを覚悟して長い時間軸から俯瞰しながら自分の持つエネルギーに応じた大きなチャレンジが出来ているかをたまに振り返りたい。
ただし、過去にも書いたものを繰り返すように、ただリスクを張るのは誰でもできる。資源も有限なので、常にトレードオフだ。つまり、「失敗の質の違い」がある。

失敗の下振れが大きければ大きいというわけではない。成長を単純な2次元グラフであらわすには、あまりにも変数が多すぎる。

以上

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