子供が生まれました

もともと出産・育児に関してまったくの無知だったため、妻の妊娠がわかって、安定期に入り、少しづつ子供が生まれてくることに実感がわいてきたときに、「子供が生まれる」ということは様々な奇跡が重なってようやく起こることだと分かった。

Youtubeでよく癒しのために子育て系Youtubeを息抜きに見ることがあったが、子供が生まれることが現実味を帯びてくるにつれて、「自分もこの立場になるんだなぁ」という見方に変わった。
子供のかわいげのある行動をほほえましく見守るだけではなく、「あぁ、生まれてくる子供と一緒にこんなことできたらいいな。」と未来のことを頭の隅に置きながら見ることになった。

自分の子供がかわいいことはもう間違いないとは生まれる前からわかるのだが、ずっと興味があったのは、「生まれた子供と対面したときにはどんな気持ちになるのか」である。

身近な父親経験者の話をきくと、「男性側は生まれてから、ちょっとづつ父親になっていくものである」的なことを言っていて、まぁそういうものなのだと思っていた。
実際に生まれてから対面してようやく本当の意味で自覚が生まれてくるんだろうなと想像していた。
物理的に身体的負担を担う立場にある母親側は、その親の自覚を身をもって感じるだろうけど、父親側は身体に変化はないため比較的自覚が生まれてづらいのではと思っていた(このあたりやや危険な言い回しをしているように自分でも思えるが、特に他意はないため、言わんとしていることは伝わってほしい。)。

だからこそ、そんな自分がはじめて自覚を持つ大きなきっかけの一つである「子供との初対面時」を想像するたびに、どういう感覚になるのだろうと気になっていた。

さて出産当日。夜中から妻に陣痛の前兆がきて、明け方になるにつれて、本格的になってきたので、タクシーで一緒に病院まで付き添った。
タクシーの運転手は行き先が病院であることと、妻の様子から察して、いろいろ気を遣ってくれた。
(※ 今回は病院までアプリでタクシーを呼んだ。すぐ呼べて、すぐ乗れた。今まで何度も使ったことがあるが今回ほどありがたいと思ったことはない。タクシーアプリは欠かせない非常に大事なインフラになっていると思った。)

午前の早い時間に妻が分娩室に入った。分娩室に入ったばかりの妻に声をかけた後は、分娩室があるフロアではなく、病院内の総合科の待合室の椅子でずっと待っていた。
お昼過ぎに、妻から連絡があり、「もうじき産まれるから上がってきてほしい」とのことで、分娩室のあるフロアへ向かい、椅子に座って待っていた。そこから数時間経過して生まれた。

やや話がそれるが、毎回病院に行くたびに本当に医療従事者の方々は凄いと感じる。とてつもなく意義深い仕事をしている。頭が上がらない。
今回出産にあたりはじめて産婦人科の雰囲気を感じたがやはり壮絶だった。
その分娩室があるフロアでは、妻だけではなく、複数のお母さんたちが出産を迎えていた。そのフロアでは、すさまじい痛みから「叫び」といっても過言じゃないような悲痛な声が飛び交っていた。
聞いているだけで胃が痛くなるぐらい気の毒になった。医療スタッフの方々も慣れるとは言っても毎日のようにこんな苦痛の声が飛び交ってる環境で働いているのはもう凄いとしかいえない。私なら卒倒してしまうだろう。絶対できない。
そして、わざわざこんな私が文字書くのも恐縮だが、世の中のお母さんたちは本当に凄い。世の中のお母さん方は漏れなくこんな壮絶な経験をしていることを考えると、果てしない感覚になる。

夕方ごろに対面できた。
毎日妻のお腹にむかって話しかけていたので、その話しかけていた相手とようやく対面できたときに、「ずっと話してたきみはそんなかわいい顔をしてたんだね。」と感動した。
「本当によく頑張ったね。生まれてきてくれてありがとう。」と妻にも子にも感謝の気持ちがどっとわいてきた(もちろん、妻にも子にも言葉にして伝えた)。

そして、そのあと抱っこさせてもらったときは不思議な感覚があった。つまり気になっていた「生まれた子供と対面したときにはどんな気持ちになるのか」である。

だっこして、顔をずっと眺めていると、「この子は唯一無二の存在だ!」と強く思った。
私と妻から生まれたのはもちろんだが、そのどちらでもない「唯一無二の存在」と思った。
もちろん、この子だけではなく、妻も私も、世界中の全員が「唯一無二の存在」だとあらためて気づかされた。

また、生まれる前に少し不安だったことがある。小さい子供と接することにまったく慣れていないことだった。接し方がわからない。
年の離れた年下の兄弟がいるとかでない限り、おそらく多くの人が同じような感じかもしれない。(もちろん同じぐらいの境遇でも子供のあやし方を心得ている人もいると思う。)

でも、はじめてわが子を抱っこしたときに、そんな心配は杞憂だったことがわかった。
わが子といえど、私が抱いたら、ずっと泣いちゃってあたふたするだろうなと思っていたが、私の腕の中で落ち着いて、じっと私の顔をみて、おとなしくしていた。

すごく安心したし、ストレートに嬉しかった。感じたことない種類の温かい喜びを感じることができた。

まったくこの子が将来理不尽な目にあったり、いやなことをされたりしたら、もう自分のこと以上に傷つくだろうと思う。
たとえば、私は人生で学校の先生に嫌われるタイプで、(フェアにみても)さまざまな理不尽な目にあった記憶がある。私のことはもういいが、もし自分の子が同じ目にあったらと想像すると、私はもうモンスターペアレンツまっしぐらになるかもしれない(半分冗談だが、もう半分も冗談になるように願う。)

このブログも気を付けないと「子供かわいい」と言いまくる育児ブログになるかもしれない。

そういえば、2個前のブログで、ノートPCからデスクトップに変えたのが自分にとって衝撃的な出来事だ、というたいして面白くもないジョークをぶち込んでいた。
人生年表みたいなのがあるならば、そんなことは、まぁ備考欄に書くか書かないかぐらいの瑣末なもので、いうまでもなく子供が生まれことは比べ物にならない。(ちなみに、デスクトップ云々の件は、「職業人生の中でも」というこざかしい保険をかけている。)
人生年表における「わが子誕生」は、がっつり太字で黄色ハイライト付き・挿絵あり、概要文付きぐらいのトップの出来事だ。
幸運にもまた次の子が将来生まれることを除けば、これ以上の素晴らしい出来事なんてないんじゃないかと思う。こんな素晴らしい経験ができたのも、言わずもがな妻のおかげである。

P.S.
育児関連のYouTubeでおすすめを紹介する。生後数ヶ月の赤ちゃんを抱っこして早朝散歩するチャンネル 「放牧親父」
余計なナレーションもBGMもなく、短い動画でストレスなく見られた。妻も私も大変癒された。ありがとうございました。

以上

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